Horseman's Column title

VOL.160「上達」


2023年8月号

 今月のテーマは、上達である。

 スポーツや職人芸などのあらゆる技術の訓練における革命的プログラムを、考察してみることにする。

 人間が身につけるあらゆる技術の習得における概念は、フィジカルを如何に訓練するかというもので、一部にイメージトレーニングということはあるものの、飽くまでも技術はフィジカルの成せる業あるから、当然フィジカルを訓練するものであるという考え方なのである。

 本稿では、フィジカルでなく脳を訓練することで、スキルを身につけるという考え方で、議論を深めたいと考えているのである。

 我々は、ものごとを練習するときに、一体何を訓練しているのかということが、今回の議論の根幹である。

 人間がフィジカルを運動させるにおいては、主に感覚統合が行われていて、その感覚統合とは、感覚細胞や感覚神経である感覚器官によって、感覚情報が脳にもたらされて、その感覚情報に反応するように、小脳が感覚情報と運動神経を連結させて、運動器官を作動させるものである。

 一方で、大脳が直接運動神経を通して、運動器官を作動させる機能も有しているのである。

 つまり、我々人間の運動は、大脳直轄のものと小脳による感覚統合によるものとがあるということだ。但し、人間の運動の大半は、感覚統合によるところなのである。

 感覚統合による運動は、その殆どが無意識にしている運動なのである。しかし、その無意識運動の中に、認識できていることもあれば認識できないこともあるのである。
 そこで、無意識に運動しているのに、何故認識できるのか。また、認識できない運動があるのかという疑問が生まれるのである。

 感覚統合は、感覚情報を感覚細胞が感知して、感覚神経を通して脳へ送信し、小脳が運動神経を通して、その感覚情報と運動器官を連結させ、運動器官を作動させている運動なのである。

 感覚器官が脳へ送信した感覚情報の中で、大脳が認識した情報があって、その大脳が認識している感覚情報を、小脳が感覚統合している無意識運動は、無意識運動であっても、大脳は認識しているのである。そして、大脳が認識していない感覚情報による感覚統合の無意識運動は、大脳は認識できないのである。

 大脳は、感覚器官が脳へ送信した感覚情報の中から、どのように取捨選択して認識しているのであろうか。

 それは、大脳が、意識をコントロールして、意識が向いた方からの感覚情報を認識しているのである。

 大脳が、手に意識を向けていれば手、足に意識を向けていれば足にというように、意識を傾けたところからの感覚情報を認識するのである。
 つまり、意識が感覚情報をキャッチするレーダーなのである。従って、意識の向いた方からの感覚情報を、大脳は認識するのである。
 もし、無意識運動を認識したければ、その感覚統合の元となった感覚情報を捉えなければならないので、意識をコントロールして、その感覚情報の出所に意識を向けるようにすればいいのである。

 そして、意識のレーダーが捉えている感覚情報に、小脳が感覚統合して作動した運動を、大脳はその運動が無意識に作動しているものであっても認識するのである。
 しかし、意識のレーダーが捉えていない感覚情報の感覚統合の運動は、大脳は認識できないのである。

 大脳は、感覚統合による運動を認識するためには、感覚統合の元となる感覚情報に意識を傾けて認識すれば、その感覚情報による感覚統合の運動を、自動的に認識できるということなのである。

 大脳が意図した運動において、その動作に関わるフィジカルに意識を向けることで、そこで受け止める感覚情報を認識することができ、さらに、その感覚情報によって引き起こされた感覚統合の無意識運動を認識することとなるのである。
 大脳が、運動を認識するとは、認識する精度にもよるが、運動の内容を知ることなのである。
 運動の詳細を把握することができれば、当然目的に沿った運動になるように、または、結果が目的に適ったものになるように、修正や改善なども可能になるということだ。

 我々が技術を習得するカギは、大脳による意識のコントロールなのである。つまり、大脳が、思い通りに意識の向かうところをコントロールすることができれば、そのコントロールされた意識によって、思い通りに感覚情報を獲得でき、且つ、その感覚情報による感覚統合の運動を認識できるということになるのである。

 そして、感覚統合による運動を大脳が把握できることで、その改善や修正を施すことも可能になるのである。

 精密機械の場合、その精密さを機能させているのは、精密なセンサーなのである。精密なセンサーがなければ、当然精密な働きをするスペックを擁している機械であっても、精密な働きはできないように、人間のような、高度で精密な能力を生まれながらにして備えている動物であっても、その能力を発揮できるのは、その能力に見合ったセンサーを持っていなければ、宝の持ち腐れなのである。

 従って、我々は、センサー機能を訓練することで、スキルアップが可能になるのである。スキルアップができれば、さらにセンサー機能が高度化して、高度化したセンサーによってスキルがさらにアップするのである。

 センサー機能の高度化 → スキルアップ → センサー機能の高度化 → スキルアップ

 以上のような循環が生まれるのである。

 しかし、人間の歴史は、フィジカルの訓練によってスキルアップが生まれるという概念ができあがっているので、フィジカルの訓練に明け暮れて、その中に徐々にセンサー機能が高まって、少しずつ上達するということを繰り返してきたのである。
 このことによって、スポーツ音痴やリズム感の悪い人間を作り出してきたのである。

 感覚情報は、我々が感じとる嗅覚や味覚や聴覚や温覚や触覚など様々である。味覚であれば、その感覚情報は、感じとったとき甘いとか塩っ辛いとかを感じとる感覚である。感じとった後に、甘かったのか塩っ辛かったのかと考えてジャッジすることはないのである。
 つまり、感覚情報のジャッジメントは、感じとったときに既にしているものであって、タイムラグのあるものではないのである。
 感覚情報をタイムラグがあってジャッジメントしているということは、大脳がジャッジしていることであり、大脳がジャッジしているのは、考えてジャッジしているので、大凡間違っていて、間違うだけでなくタイミングを失ってしまうのである。

 上達を期すのは、フィジカルの訓練ではなく、脳の訓練が重要で、脳を訓練するために、意識のコントロールの精度を高めることで、意識のコントロールが感覚の精度を高めることとなって、名人技の全てを支えているのは、感覚なのであるから、感覚を鍛えることが、上達なのである。

2022年9月26日
著者 土岐田 勘次郎

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