Horseman's Column title

VOL.143「馬の従順性」


2022年3月号

 今月のテーマは、馬の従順性である。

 人間の脳には、大脳があり小脳がある。その小脳の役割は、知覚と運動機能との統合であるという。
 大脳は、ものを考えたり解釈したり判断したりして、情報を処理するのであるが、小脳は、情報を認知して、その認知した情報に反応するように運動機能を働かせるのである。

 馬の従順性をライダーは、何を以て判断すればいいのだろうか。馬の行動の何を見て、従順であるかどうかを判断することができるのであろうか。

 馬の様々な行動を診て、総合的に従順かどうかを判断することもあるが、騎乗しているときライダーは、一つの要求に対する馬の反応が従順であるかどうかを判断するから、馬の反応の何を以て従順であるかどうかを判断するのか確定しておくことが必要なのである。
 何故なら、その判断によって、かけているプレッシャーをリリースするのか更にプレッシャーをかけるかを決定しているからなのである。

 ライダーは、馬の反応を馬の動きによって判断すると同時に、ライダーが馬に指示をしたときに与えるプレッシャーと馬体との接触点の接触感によって、馬が従順であるかどうかを無意識に判断しているのである。
 ライダーは、自らの要求に馬が従っていても、馬が反抗的だと感じることがあるのは、視覚情報だけで馬を診ているわけではないということだろう。

 このことは、馬のフィジカルの柔軟性とメンタルの従順性の両面を、ライダーは感知しているということである。しかし、多くのライダーは馬の動きという視覚情報で、馬が要求に従ったかを判断しているのである。それは、主にライダーの大脳が思うことなのである。しかし、要求に馬が従っていても反抗的だと感じることがあるのは、小脳が視覚情報以外の感覚で馬を診ているからなのである。

 例えば、ライダーが馬に駈歩を要求したとき、馬が駈歩をすれば馬が要求に従ったと判断し、馬の首を曲げるようにプレッシャーをかけたとき、馬がこれに応じて首を曲げたとき、馬が要求に従ったと判断するのである。これは飽くまでも、視覚情報によって馬が要求に従ったと判断していることなのである。

 果たしてライダーのこの判断は、正しいといえるだろうか。

 この疑問は、馬が嫌だと思っていながらライダーの指示に従うということがあるかどうかという問題である。つまり、メンタルと行動が裏腹になるということが馬にあるかどうかという問題であり、人間には往々にして見られることであるが、馬にあるかどうかということである。

 また、馬が行動としてライダーの要求に従わなかったり反対の行動をしたりすれば、馬が従順でないことは分かる。恐らく馬が従順であるのに、ライダーの要求に抵抗したり反対の行動をしたりするということは考え難いからである。しかし、不満に思いながら要求に従うということは有り得るのではないだろうか。

 我々ライダーは、馬に対してプレッシャーを与えたとき、何を以てそのプレッシャーをリリースするのでしょう。馬が要求に従ったときにリリースするというが、馬が従ったとは、どのようなことを指しているのでしょうか。

 それは、馬が頭を下げたりステップしたりしたときを以て、従ったというのでしょうか。しかし、馬が要求に応じて頭を下げてもステップしても、不満を持ったまま従うこともあるというのであれば、その反応を以てリリースしても良いのだろうか。
 もし、馬が不満を持ちながら要求に応じて反応していて、それに対してプレッシャーをリリースしていれば、馬の不満はやがて抵抗や反抗に増幅してしまう畏れがある。つまり、馬のメンタルとフィジカルとが乖離してしまっていることを見抜けずに、プレッシャーをリリースしているということになるのである。

 ライダーが馬に何らかの要求をするとき、幾ばくかのプレッシャーを馬に与える。このとき馬の反応をライダーは、プレッシャーの馬体との接触点において、ライダーが感触として捉える接触感の延長線上において、馬の動きを感知するのである。つまり、ライダーは、プレッシャーの馬体との接触点において、感触として先ず馬の反応を捉えて、その後に馬の動きを接触感と視覚で感知するのである。
 つまり、ライダーの接触感は、馬の反応を感触として動きを捉えることができているのである。しかし、馬が首を曲げたりステップしたりという動きの視覚情報では、接触感を捉えることはできないのである。

 ライダーの脳が、馬の動きを視覚情報として捉えて、従順に従ったと判断するのか、プレッシャーの馬体との接触点における感触で、その接触感の硬軟で従順かそうでないのかを判断するのは、前者は大脳で後者は小脳でというように、それぞれ大脳と小脳という違う場所で判断しているのである。

 ライダーの意識が大脳の方へ荷担すれば、小脳の判断を無視して馬の動きだけで従順かどうかを判断し、小脳の知覚を意識すれば、プレッシャーの接触感で馬が従順であるかどうかを判断するのである。
 ここで重要なことは、大脳が優先権を持つと、小脳の知覚と運動機能の統合を遮断するが、小脳を優先しても大脳の機能を遮断することはないということなのである。

 プレッシャーの馬体と接触点における接触感には、硬軟がある。

 硬いのは馬のメンタルの抵抗感の現れで、柔らかいのは馬の従順性の現れなのである。同時にフィジカルの柔軟性とそうでないこともこれに含まれるのである。
 つまり、接触感が硬いのは、馬のフィジカルが硬くメンタルが抵抗していると解釈することができ、柔らかいのは、フィジカルが柔軟でメンタルが従順だと解釈することができるのである。
 従って、接触感が硬い場合、フィジカルが柔軟でメンタルが反抗的である場合とフィジカルが硬くメンタルが抵抗を示している場合とが考えられるのである。
 そしてまた、接触感が柔らかい場合、フィジカルが柔軟でメンタルが従順であると解釈できるのである。
 つまり、馬のメンタルが反抗的であればフィジカルが柔軟でも硬くてもライダーはプレッシャーの馬体との接触感は硬いと感知するのであり、馬のフィジカルとメンタルの両方が柔軟で従順でなければ、接触感が柔らかいと感知することはないのである。

 ライダーは、馬に何らかの要求をするためにプレッシャーを与えて、その反応において、プレッシャーの馬体との接触感において硬く感じた場合、馬が要求に従った反応を見せたとしても、馬は不満を持ちながら要求に応じたことになるので、与えているプレッシャーをリリースせずに接触感が柔らかくなるまで続けて、接触感が柔らかくなってからプレッシャーをリリースしなければならないのである。

 このようにすることで、馬はメンタルの従順性とフィジカルの柔軟性を一致させることをライダーから求められたことになり、馬はメンタルとフィジカルの両面を乖離させることなく反応したこととなるのである。

 ライダーに対する褒め言葉として、グッドハンドということがあるが、それは馬の反応をプレッシャーの接触感で診なければならないということだから、その感知する感覚が優れているためにこのように称されるのである。

 馬の反応を視覚で診ている内は、馬のメンタルを見逃してフィジカルだけを見ていることになり、馬を診るということは、プレッシャーの接触感で捉えなくては馬のメンタルとフィジカルの両面を診ることはできないのである。

 プレッシャーの馬体との接触点の感触を接触感でライダーが捉えれば、馬のメンタルとフィジカルの両面を捉えることが必ずできるのであり、ライダーは、馬を診るとき視覚ではないその他の感覚で捉えるようにしなくてはならないのであり、ライダーの感覚をディベロップメントすることが如何に重要であることが分かるのである。

2022年1月11日
著者 土岐田 勘次郎

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