2023年2月号
今月のテーマは、馬の柔軟性における概念である。
馬の柔軟性の根本理念は、「譲歩の予測」である。
つまり、馬がライダーの要求に対して、譲歩することを予測することを以て、馬が柔軟になるというものである。
従って、馬がライダーの要求に対して柔軟に反応するということは、馬が能動的に反応することで、柔軟性が生まれるという考え方なのである。
これまで、私は、馬をトレーニングするにおいて、目的に向かってライダーとして馬に要求することで、馬ができるようになると考えてきた。
指導するとは、生徒に対して何かを要求することで、生徒が学習するというメカニズムを概念として持ってきたのである。しかし、これは明らかなる間違いだと確信したのである。
つまり、指導者は、シチュエイションや環境として整備することができ、それ以上でもなければそれ以下でもなく、その状況下で生徒が何をどのように学ぶかは生徒自身が学習することなのである。
第三者が生徒に何をどのように学ぶかを強制したり直接的に学習を強要したりすることは不可能なのである。
従って、我々が馬をトレーニングする場合においても、シチュエイションや環境を整備することで、馬自身が能動的に何をどうのように学ぶかを決めているのであり、トレーナーが馬に学習を強制したり強要したりすることは、不可能なのである。
しかし、我々トレーナーは、馬が学習することをマクロにおいて達成しなくては、馬をコントロールすることはできないのである。
トレーニングのマクロとしての目的を達成するためには、トレーナーと馬とのコミュニケーションが必須であり、そのツールは、プレッシャーは馬の行動のきっかけを作り、プレッシャーのリリースは、馬の学習のきっかけを作るというものなのである。
4〜5年位前に「タッチ&ウエイト」というプロジェクトを実践したことがある。
それはビットタッチして、それ以上プレッシャーを変えずに持続させ、そのまま馬の反応を待つというものでした。すると、馬によって個体差があるもののやがて馬が能動的に反応して、その瞬間にビットタッチをリリーするすると、馬は柔らかく首を曲げて横を向くというものでした。
そのとき、ライダーは、ビットタッチしたその手で、とても柔らかい接触感を感じるというものでした。
このプロジェクトが原点となって、「譲歩の予測」を概念として持つことができたのである。この概念は、馬が能動的にライダーに対して譲歩をすることを、予測するというものであった。
しかし、この時点では、本当の意味で馬が能動的に学習するという意味を理解できていなかったのである。
我々人間は、直接的に馬をトレーニングできるという概念を何らのきっかけも学習もなく身につけてしまっているので、余程の決断なしにこれを変えることはできないのである。
そこで私は、馬を柔らかくするという目的を、様々な試行錯誤と体験を繰り返した結果、馬を強制的学習させたり柔軟になること強要したりして、不可能だと気が付いたのである。
つまり、我々人間は、馬が学習するための状況や環境として整備して、馬が能動的に学習することを促す以外の方法はなく、まして馬の反応を柔軟にするには、プレッシャーを一定に保ち、馬が譲歩を示した瞬間に、そのプレッシャーをリリースすることでのみできることなのである。
従って、馬をトレーニングする場合、我々は間接的に馬が能動的にどのようなシチュエイションや環境を作るかを試行錯誤して、追究することが必要なのである。
「譲歩の予測」の後の生まれた「タッチバンバンバン」のプロジェクトも、プレッシャーの接触点を重要視することとジャークの直前にワンタッチがあることを重要視するように云ってきたが、それは間違いだったのである。正しくは、接触感を柔軟にするためには、ジャークをしているのであれば、そのジャークのリズムや強さを変えずに継続することが重要で、その上で馬の譲歩が現れるのを注視して、譲歩が現れた瞬間にジャークを止めてリリースするのである。
そうすることによって、馬は必ず能動的に柔軟な反応をするように学習するのである。
学習は、生徒が人でも動物でも、当事者自身が能動的に成し得ることで、第三者が強要も強制もできないことなのである。
世の中には、洗脳というのが存在する。
洗脳は、決して強制や強要でしているのではなく、環境や状況を巧みに計算して整備し、強制的にその環境下に閉じ込めて、行っているのである。つまり、当事者は、学習を能動的にしているという認識を持っているので、洗脳されているという認識がないのである。従って、そのような環境に強制的に閉じ込めることなく学習を強制的に実行しても、その実行は乏しいが、環境を整備して、能動的に学習してしまうようにすれば洗脳の効果は絶大で、環境を整備していても、学習を強制したり強要したりすれば、その瞬間に洗脳は不可能になってしまうのである。
コンピュータ社会化している現在、我々は、ネットで何かを買えば、次からは似たような物が絶えずモニターに現れ、いつの間にか我々は、その煽動に誘導されるように買ってしまうように、もし、似たような物が画面に絶えず現れたとしても、買うことを強制や強要されるようなフレーズが現れれば、その瞬間に我々は決してその物を買わなくなるようなってしまうのである。
行動を強制すれば反発し、環境や状況を整備して能動的に行動するように仕向けることで、いつの間にかその誘導に左右されてしまうのが学習の夜行道のメカニズムなのである。
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