乗馬は、2点間の協奏曲である。
協奏曲とは、単数または複数の独奏楽器とオーケストラからなり、両者の対比と調和を構成原理としつつ、多かれ少なかれ独奏者の演技技巧を発揮させるように作られた楽曲。かつては競争曲とも書いたということである。
2点とは、支点と作用点のことであり、支点と作用点は、それぞれ単独に力を発揮するものの、その力は、支点は作用点の力を支えとして発揮されるものであり、作用点もまた同様なのであり、互いの力が組織されて一つの結果を生み出しているので、協奏曲と同様なのではないかということである。
しかし、我々人間は、作用点のことを意識すれば、支点のことを意識しなくても多くの場合、目的を遂げることができる。場合によって、作用点において不都合が生じるときもあって、このときに初めて支点を意識して工夫し、問題を解決して目的を遂げているのである。
しかし、馬上にあっては、地上と違ってこのシステムが成立しないのが大半なのである。
何故なら、地上にあっては、バケツを持ち上げる場合は、その結果を我々は知っているので、持ち上がったかどうかを判断できるので、持ち上がらなければ、支点での工夫を自動的に行うことができるのである。
しかし、馬上にあっては、馬の頭やショルダーを持ち上げるといっても、その持ち上がった状態を我々は知らないので、ことの正否を判断することができず、作用点で不都合が起きていても、支点での工夫を自動的に起こすことはできないのである。この場合のできないという意味は、不可能という意味ではなく、可能にする意志が機能しないという意味である。
従って、ライダーが知り得る結果を目的として設定し、行動しなくてはならないのである。そうであれば、作用点において不都合が生じたとき、自動的に支点での工夫を成すことができるのである。
馬上という同一物体上に、作用点と支点を位置させて、馬の動きやフレームをコントロールしようとするのが乗馬であり馬術なのである。
できる限り作用点に不都合が生じたとき、支点での工夫が半自動的に機能するようにするためには、先ず、ライダーが、乗馬や馬術は、作用点と支点の2点間における協奏曲であることを理解する必要がある。
作用点でどんな角度の力を発揮しても、支点の位置によって、その作用が全く違うものになってしまうのである。
例えば、ビットを作用点にしてレインをライダー自身の重心へ引いた場合、作用点のビットと支点であるライダーの重心は直線上に位置して、互いに引き合うこととなり、直線モーメント発生するので、馬のフレームに特段の変化が現れにくいのである。
しかし、レインを真上に向かって引き上げるようにビットを持ち上げれば、支点にしている鐙でもシートでも、支点は自動的に真下へ力が働くこととなり、馬の頭頂部が真上に、馬の後駆が真下へ向かうような回転モーメントが発生し、馬のフレームは収縮の態勢ができるのである。
従って、ライダーは、レインハンドを使うとき、予め支点を、何処にするか、どんな角度の力を発生させるかを考慮して、プレッシャーを掛けなければならないのである。
地上では、作用点をだけを考慮すれば、自動的に作用点や支点の工夫が生まれるのである。しかし、馬上では、作用点を考慮しているだけでは、自動的に支点での工夫が起きないから、予めどんな力を支点において与えるかを、考慮しておく必要があるのである。
以上のようにライダーは、作用点において何かをするとき、必ず支点での作用のさせ方まで意識下においてするべきなのである。そうでなければ、2点間の協奏曲として、乗馬や馬術が成立しないのである。
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