2025年3月号
馬のガイドは、長年の謎であった。
ガイドは、何によって成立するのかを解明していなかったのである。
乗馬とは、ライダーによる馬の推進とその推進した方向をコントロールすることで成立するものなのである。
馬の推進は、ライダーが、馬に対して主導権を握ることで可能になり、主導権をライダーが握るには、矛盾によるところで、馬を動きにくくするために、レインで馬の頭の動きを拘束した上で、脚により刺激を与えて馬が一歩前に進んだときに、掛けていたプレッシャーをリリースすると、馬は、動きづらい状態からライダーに動かされたという意識を持ち、ライダーの圧力で動かされたと思うのである。
従って、この矛盾によって、馬のメンタルにライダーの存在が大きくなり、ライダーは、馬に対して主導権を握れるのである。
それでは、ライダーは馬が動くことにおいて、何ら物理的力を行使できないのに、何故、馬をガイドできるのだろうか。
ガイドの正体は、ブレーキで、抑制することなのである。推進力を抑制することがガイドなのである。
動きをコントロールするということは、ブレーキを掛け、その反作用による動きがコントロールされた動きなのである。
車のハンドルを切ることも船の舵を切ることも、全ては、進行方向にブレーキを掛けることで、ハンドルを切ればタイヤは曲がりタイヤのグリップ力が高まり、直進力を妨げることとなって、グリップ力の小さい方へ進行方向が曲がるのである。また、船の舵も切れば、水流を妨げることとなってブレーキが掛かり、その反作用で船の進行方向が曲がるのである。
乗馬においても同様で、推進方向にブレーキを掛け、その反作用として進行方向が曲がるという仕組みなのである。
つまり、乗馬におけるガイドとは、馬のメンタルにブレーキの概念を植え付けることで、そのメカニズムが成り立つのである。
ガイドの概念が馬にない新馬の場合、ラウンドペン(丸馬場)でサドルブレーキングをするのは、物理的に馬の進行をラウンドペンのフェンスがブレーキの役割を果たしており、馬を推進し、その推進力をフェンスがブレーキの役割を果たして馬の動きを抑制するので、結果として馬は円運動をするのである。
従って、ラウンドペンのフェンスの役割をレイン操作が果たすように、馬に、レイン操作を推進力に対するブレーキであるというように概念として植え付けることができることで、進行方向に対して直角にレイン操作があれば、馬は停止し、直角以外となれば、それが入射角となって、その反射角が、馬の進行方向となるのである。
如何にして、馬にブレーキの概念を植え付けることができるかが問題である。
つまり、ラウンドペンのフェンスの役割を馬のメンタルに植え付けることが、ライダーによる馬の動きをコントロールすることを可能にするということである。
同一物体上に作用点と支点が存在する場合は、作用点と支点の力は同量で逆向きなので、相殺されてしまうので、作用点にまたは支点の中間に、作用点と支点が引き寄せられるが、その物体が動くということにはならないのである。
従って、ライダーの発する力が、物理的に馬を動かしたりその動きを止めたりすることは、不可能なのである。
ライダーによる馬の推進やその動きをコントロールすることは、馬のメンタルを活用する以外に方法はないのである。
そこで、ライダーが馬を推進する場合、馬の重心移動を作動している頭の上下動をレイン操作によって抑制して、動き難くした上で、脚による刺激を与えるという矛盾的行為を馬にさせて、一歩馬が動いたときに、レインのプレッシャーを解放し、馬のメンタルにライダーの存在感を大きくすることで、ライダーが主導権を握り、その主導権のもとで、脚やシートなどのプレッシャーによって馬を推進するということなのである。
更にまた、その主導権のもとで、推進した馬のメンタルに、その動きを抑制する「外方の壁」を概念として植え付けることで、ライダーが馬の動きを、コントロールすることを可能にするのである。
それは、馬を推進し、その推進方向に対して、直角ではないある角度を以て左右のレインを引き、馬の頭の上下動を抑制するのである。すると馬は、推進力を減退したり、ラインを引いた角度の方へ進路を曲げたりするので、このときレインプレッシャーをリリースする。このこと数回繰り返すことで、馬は、レインプレッシャーを掛けられたとき、進路を、レインを引かれた方へ曲げたり、推進力を減退させたりすれば、レインプレッシャーから解放されること学ぶことになり、レインプレッシャーが「外方の壁」として、抑制力という概念が馬の中に生まれることとなるのである。
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