VOL.32 「ブレーキングの概念」 |
2012年12月号 ホースマンズコラム、2012年の締め括りのテーマは、「ブレーキングの概念」ということで、一体馬のブレーキングの正体とは? 何を根幹として、訓練するものなのか? そして、馬の何をどのように訓練することなのか?という解説をしたいと思う。 更にまた、ブレーキングに対する我々の捉え方としての概念について、考察したいと思う。 馬の調教を段階的に分ければ、「ブレーキング(Breaking)」「ファウンデーション(Foundation)」「フィニッシング(Finishing)」という3段階に分けることができる。 また、内容的に調教を区分すれば、「インプリンティング(Imprinting)」「ティーチング(Teaching)」「トレーニング(Training)」というように分けることができる。 ブレーキングには、通常ホルターブレーキングとサドルブレーキングがあって、鳥類が孵化した直後に、親を認識する方法からヒントを得て、近年考案された調教法で、子馬の生誕直後に行われるインプリンティングというのがある。 そのインプリンティングが一般的に行われているわけではないが、多くの人が知るようになって、部分的に取り入れられるようになってきている傾向にある。 私が思うに、インプリンティングは、ブレーキングの中に区分されて然るべきことではないかと考えている。 馬の調教において、重要なファクターとして、馬の学習能力の中に、ブレーキングは、シンキングや理解を要しないトレーニングであり、一般的トレーニングとは、理解を求めることにあるが、学習するということは、必ずしも理解が伴うものと限ったことではなく、学習の領域のある範囲において、理解が占める範囲があるということで、馬に限らず生物は、学習の世界のある部分を理解が支えているのであって、学習することと理解は必ずしも一致しないのである。 理解が始まる前に、何を受け入れて何を拒否するのかを判別する能力を身につけて、この基盤を形成する必要があって、これを区分せずに、何を受け入れるか拒否するかという基盤を形成する期間において、同時に理解を求めようとすれば、トラウマを作ってしまうおそれがある。 |
つまり、学習や理解が始まる前に、その準備として行動や反応のベクトル(方向性)としての基盤を形成する。 そして、その方向性が基盤として形成された上で、ものごとに対して肯定するのか否定するのかを直感的に判別して、その後の現象(結果)と過程を照らすことによって理解が始まるのである。 従って、ホルターブレーキングやサドルブレーキングレーキングは、馬の理解や思考性に委ねることをしてはならないのが原則で、もし思考性や理解を主体的にしてブレーキングをすれば、馬にとって理解や思考の範疇において、受け入れがたいことなので、パニックをおこしたり混乱したり、後々に後遺症を残してしまうような確率が高くなるのである。 日本で行われているブレーキングは、多くの人が誤解をしていて、思考性や理解によって、人の拘束や背中に乗るような抑圧的行為を、受け入れるようにしようとするから、却って馬は不安や恐怖感を大きくしたりトラウマを作ったりするのである。 ブレーキングの本質は、理解や思考性を活用してするものではなくて、気が付いたら人に従い、人が背中に乗っているというように、理解や学習が始まる前に受け入れてしまうようにするのが鉄則なのである。 既にこのときには、人が与えるプレッシャーに対して、拒否するようになってしまっているので、その方向性を変える必要があって、緊張を与えるプレッシャーとそうでない接触を、判別するようにするのがブレーキングなのである。 ブレーキングとは、馬の理解や思考性に委ねることなく、プレッシャーに対する反応的行動の方向性を変えること、つまり人が与えるプレッシャーに対して、そのプレッシャーから遠ざかって回避しようとするベクトルを、そのプレッシャーを与える人へ近寄るベクトルへと転換することなのである。 ブレーキングの実際の手法は、トレーナーの数ほどの手法があるといっていいが、その根幹は、思考性や理解に委ねたトレーニングとは異なり、生命維持機能の本能とでもいうべき行動のベクトルを、プレッシャーを与える人へ近寄るように転換することにあるのである。 2012年12月 1日 著者 土岐田 勘次郎 |
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