VOL.62「ライダーと馬とのコミュニケーション」 |
2015年6月号 今月のテーマは、馬とのコミュニケーションのメカニズムについてで、今日では多くの人が乗馬をするとき、馬とライダーとのコミュニケーションが必要であることを知っている。 コミュニケーションが必要であることを知っていても、そのメカニズムを理解しなければ、コミュニケーションできないだけでなく馬に大きなストレスを与えてしまうことになる。 コミュニケーションのメカニズムはとてもシンプルなもので、決して複雑ではないので誰にでもできることだが、ライダー自身がコミュニケーションの目的を明確に認識しているかどうかが問題なのである。 コミュニケーションは、緊張と緩和を一貫性以て馬のメンタルにもたらすことによってできる。 問題は、ライダーが、自分が馬に与えるプレッシャーの目的を明確に認識しているかどうかである。 コミュニケーションは、イニシアティブをとる側とこれに従う側へと分かれるもので、イニシアティブをとる側にリーダーシップが求められる。 求められるリーダーシップは、コミュニケーションを目的とせずに、目的をなすためのツールとしてコミュニケーションをとり、一貫して目的のために緊張と緩和のシステムを駆使することである。 そのためには、ライダーが馬の反応を感じ取る感覚を持っていなければ、馬の反応の直後に、与えた緊張を更に与えるのかその緊張を解放するのかを的確にできない。 コミュニケーションの目的には、マクロとミクロの二つ区分でき、マクロは幾つかのミクロによって構成される総合的なもので、レイニングホースであれば、スピンやストップやサークルなどのパフォーマンスなど、また駈歩をさせたり速歩をさせたり前後左右や直進などの運動方向を特定することもまたマクロに相当する。 ミクロとは、マクロを実現するために、馬のフレームやステップや重心の所在のことである。 ライダーは、馬のフレームやステップや重心をコントロールすることによって、マクロの運動をコントロールすることができる。しかし、ライダーは、強制力を以て馬の運動をコントロールすることはできないので、馬のメンタルとコミュニケーションすることによって、馬をコントロールすることができるのである。 そこで、ライダーが馬ととるコミュニケーションの目的は、ミクロに該当する馬のフレームやステップや重心の所在についてでなくてはならないので、それらの変化を感じ取れなければ、馬の反応がライダーの意に沿ったものかどうかを判断できないことになり、一貫性を以て馬に緊張と緩和を与えることはできないので、コミュニケーションが取れないということになるのである。 また、マクロとしての目的もまたライダーは認識しなければならない。 何故なら、ライダーが馬の反応をミクロで判断できないときは、マクロでライダーの意に沿っているかどうかを判断するからであり、またライダーが上達したとしても、馬の動きを厳密にミクロとして把握することはできないからである。それに、マクロはライダーが馬に求めるそのものだからである。 |
馬とのコミュニケーションの重要性を説いたが、多くの人が間違ったコミュニケーションを理解しているので問題が生じていると思う。 馬から色々なことを学んでいるという人がいるが、こういう人に限って何も学んでいないものだ。 ライダー自身の主張が明確でなければ、明確なコミュニケーションはできないし、馬の性格や動物学的特徴を学んだところで、ライダー自身の主張とどのように関わるのかが問題であるのに、馬の気持ちが分かったとしても意味ないことなのである。実際には自分自身の主張するところを認識できない人が、自分以外の人や動物の気持ちを理解することはできないのである。 コミュニケーションは単純なメカニズムでできているが、馬の運動は極めて複雑で、色々な運動器官がそれぞれに運動し且つ各器官が関連しあってもいるし、体勢や重心のありかによっても運動は大きな影響を受けている。 従って、ライダーは、ミクロとしての運動器官の動きや重心やフレームについての主張を明確に持つ必要があり、明確な主張を認識しているからこそ、馬の反応によって馬のメンタルの動向や状態を理解できるのである。 ライダー自身が自らの主張を明確にもつには、馬のミクロの動きを理解できなくてはできないことになるが、これができない場合でもライダー自身が馬に求める運動をイメージすることによって、ライダー自身の主張を明確にするために大きく貢献する。 人間の脳は、我々が考えるより優秀なので、自分の主張するところが明確にできない場合でも、仮説として明確に主張するところを決めてもミュニケーションすることによって、自分の主張することを見つけることができる。 ライダー自身が意識しない場合でも、必ず自己主張をもっており、早く自分自身に心を向けて、その自己主張を明確にする必要がある。 相手が人でも馬でもコミュニケーションするには、自らの主張することを明確にもっていなければできないことで、自己主張が明確でないときは仮説としてもたなければならない。 確かに馬には個性があって、1頭1頭違う特徴や態度を示すものだが、そんなことはあまりコミュニケーションとは関係がない。何故なら、緊張と緩和のシステムは同じだからで、本当に緊張と緩和のシステムが機能しないのは、トレーニングしても無駄でありコミュニケーションできない。 しかし、大多数の人や馬は、コミュニケーションのシステムを有しているものだから、コミュニケーションをとるには、イニシアティブをとる側の責任と義務として、自らの主張を明確に認識することである。 そして、これをミクロとマクロに分解をして、それぞれにおける目的を明確にして、ミクロの接点において緊張と緩和のシステムにより相手とコミュニケーションする。 自分を知るということは、自分を知ることによって相手を知ることになったり相手を知ることによって自分を知ることになったりするような相互関係によって形成されることである。 馬とライダーのコミュニケーションもまた、緊張と緩和のシステムによって成立することだが、イニシアティブをとるライダー自身が己の主張することを明確に認識できてこそスタートすることであり、己の主張するところが明確であるからこそ馬を学ぶことができるのである。
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