Horseman's Column title

    VOL.85「フィール その2」

 2017年5月号

 今月のテーマは、先月のテーマ「フィールの養成」に次いで、第2弾をお送りしたいと思う。

 乗馬においてフィールといえば接触感で、接触感とは圧力を感じる感覚である。

 感覚は、太鼓のバチと皮との関係性と同様で、バチの叩く強さによっても音の高さや大きさが変わり、また皮の張り具合によっても音の大きさや高さも変わるのであり、どちらかだけで成立しているわけではないのである。

 そして感覚とは、客体と身体の接触点において、感覚細胞がかけたプレッシャーに対する反作用としての圧力を感知して、感覚神経を通してその情報が脳へ送信される。脳は、受信した感覚情報を認識すればその圧力の大きさや硬軟などの情報を認知し、認識しなければその情報は無視されるので存在そのものがなかったものとなる。

 つまり、感覚情報はその情報の存在と脳の認識の二重構造となっており、事象が発生しなければ存在そのものがないが、脳が認識しなくても存在がないものとなってしまうのである。

本稿は、フィールとして馬の状態を感じ取るために、この二重構造においてどのようなシステムで自動的に感覚情報を認識できるかを問うものである。

レインハンドやシートや脚で馬に対しプレッシャーをかけるとき、その接触点での反作用として発生する圧力としての馬の抵抗の程度を認識し、その圧力の方向や強さを感じ取り、これを抵抗や反抗や従順と判断するのである。

そこで、我々ライダーは、何故その圧力を抵抗や反抗や従順と判断するのだろうか。
 それはライダーが、ある意図を以てプレッシャーを掛けるので、そこで生まれる圧力の方向や大きさによって、その意図に対して、馬の反応としての動きの方向が一致しない場合は抵抗と判断し、一致すれば従順と判断するのである。

 ここで感じ取った圧力を抵抗や従順と判断すると表現したが、実際にはそこにタイムラグがないので、接触点における圧力をダイレクトに、抵抗と感じたり従順と感じたりするのではなく、一致するかしないかを感じ取るのである。

 プレッシャーの接触点における圧力をフィールとして捉えるとき、ライダーの意図が、反作用としての圧力が意図と一致するかしないかを決定付けているといえるのである。

 そこで意図とは、理性か感情かという議論をしなくてはならない。

 先ず、理性として意図が発生している場合は、プレッシャーの接触点で感じている圧力の方向やエネルギーの大きさを、抵抗なのか従順なのを理性で判断することになるので、感覚情報を一々理性的に判断することになるので、思考が感じてから判断するまでに入るので、時間がかかることになる。

 そして、感情から意図が発生している場合は、プレッシャーの接触点で感じる圧力の方向やエネルギーの大きさに対して、反射的にライダーの次の行動として現れるのである。
 つまり、感じてからライダーの行動までの間に思考が入ることはなく、感情的意図がダイレクトに反映されるのである。
 何故なら、感情から生まれた意図は、初めからエネルギーの方向性と大きさを持っているので、フィールとして捉えた圧力を、意図と一致するかどうかで感じ取っているので、即座にライダーの行動として反映されるのである。


 理性から生まれた意図は、結果や総合的なものになっている傾向にあるので、プレッシャーの接触点におけるエネルギーの方向と大きさとして単純化されていなので、感覚情報を分析する時間を要してしまうのである。

 理性から生まれる意図は、総合的であり結果を想定している一方、訓練によって特殊な能力を持っている場合を除き、客体との接触点でのエネルギーの方向性と大きさを持っていない。
 この逆に、感情から生まれる意図は、客体との接触点におけるエネルギーの方向性と大きさを持っていて、総合的であり結果を想定していない場合が多いのである。

 従って、ライダーは、マクロとして理性の意図を形成し、実際に行動をするとき、プレッシャーの接触点、つまりミクロとして感情の意図を以て行動するのが一番有効な方法であり、ミクロの結果においても満足を得ることができ、且つ目標達成時点でも大きな満足を得ることができるのである。
 マクロの意図を理性的に形成し、ミクロの意図を感情として持つことで、大脳の活用にも有効で、ミクロの現場に大脳が口を出さなくなり、マクロでは大いに大脳が活躍できるようになるのである。

 多くのスポーツの苦手な人は、マクロで感情的意図を持ち、ミクロで理性的意図を持つ傾向にあるので、ミクロの現場に大脳が働いてしまい、もたらされる感覚情報を無視してしまうことにより、運動器官を大脳が直接コントロールすることになるのである。

 従って、これまでの考察による結論は、フィールを養成するためには、プレッシャーの接触点で感じ取る圧力を、感情で捉えなければならないということである。

 ミクロの現場において起動しなくてはならないのは、エモーションであり、マクロでは、理性が起動しなくてはならないのである

 日本人の特徴は、自らの感情を抑制することを美学とするところなので、馬などの動物をコントロールすることが苦手で、組織のリーダーに向かないのである。日本人は、自分の感情を抑制するのではなく上手く使うようにしなければならないのであり、この点において子供の教育の研究をする余地があるのである。

 ミクロの現場においてエモーションが働くことを抑制しなければ、フィールが養成されるのである。

 マクロとしてのプログラムや手順などは、理性としての意図を形成し、プレッシャーの接触点においては、感情的意図を以て望むことによって、フィールが養成されるのである。

 レインを引いたときに感じる圧力は、感情的に好ましいのかどうか、脚でプッシュしたときの馬の反応は、感情的に好ましいのかどうかという意図を以て行動しなければ、フィールが養成されないのである。
 直感力や感性は、ミクロの現場で必ず感情からの意図を以て行動し、結果との検証において理性的意図を形成しながら経験を積むことによって、養成されるのである。

2017年4月12日
著者 土岐田 勘次郎

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