| 第五部 VOL.26
ニューメキシコ 1993年5月23日の渡米から今回(2004年6月)の渡米で5度目になるが、2年に1度の計算だ。 オクラホマが3回でテキサスが1回だったが、今回も土岐田氏にお願いしたらデールのお父さんが牧場を探してくれるという事になって、今回はニューメキシコである。 今までのパターンは、数人で同行しても現地に着いたら目的別に分かれたが(一人行動)、今度は相方がいる。それも英語が喋れるから安心している。勿論目的は、Ropingの勉強である。 成田空港からヒューストン空港経由でアルバカーキィ空港、機内の中で英語の堪能な相方に聞いた。 「俺はいつも入国で止められているが、正式には何と言えばスーと通してくれるかな。」すると相方は、「観光ですと言えば良い。」と答えが返ってきた。 「いつもそうやってきたのに本当に大丈夫かな?」 飛行機は、段々と高度を下げて着陸態勢、辺りの風景も大きく見えて無事到着さぁ入国だ。
「観光です。」 「どこに行くのですか。」 「ニューメキシコのアルバカーキィ。」 「アルバカーキィに観光?」 不審そうな顔、脇に日本人の男性がいたので係官が通訳を頼んだがその人もあまり分からない と後ろに並んでいた母親らしき人が訳してくれた 「観光と言っているが、其処には観光らしき場所はないのに何しに行くのだと聞いている。」 「それじゃこう言って下さい。 牧場に、Team Ropingの勉強しに来ました。と」そしたら係官は、ウインクしPleaseと言って通してくれましたが、相方はまだ捕まっている。 「何で、そんなに時間が掛かっていた?」 と聞いたら私と同じ事を聞かれたらしい。 「そんなのTeam Ropingの勉強しに来たと言えば直ぐ通してくれたよ。 お前、英語が話せるだろう。何年アメリカに留学していたんだ、先が思いやられるよ。」 アルバカーキィ空港に到着、荷物を受け取るまでそんなに時間はかからなかった。ロビーに行きデールのお父さんを、探し歩き回っていたら柱の影からカウボーイハットを被った小太りのおじいさんが、俺たちに話を掛けてきた。 「誰を探している?」 「デール ハーヴィさんのお父さんを、探しています。」 「そのお父さんが俺だよ。」 デールにそっくりじゃなくて、デールがお父さんにそっくり。 「今日は遅いから、案内は明日にして食事してからモーテルに連れて行く。」と言う。 「世話になる筈の牧場の奥さんが、急に病気になり受け入れが出来なくなったので、明日心当たりを探すから」ということだって。 夕飯は、メキシコ料理の店だ。 「Rowdy 辛いのは大丈夫か。 ビールは飲むか。タコスは。」 と気を使ってくれるお父さん。 「Rowdy あの馬はどうした?」 俺の名前を知っている。デールが教えたのであろう。あの馬とは、土岐田氏が買ってくれて、デールがスナッフルビットランチに運んで置いてくれたRoping Horseの事だ。 お父さんは、デールの事を 「彼は、Cowboyが大好きさ。」 「Rowdy ビールのおかわりは?」 お父さんは、運転だからレモンスッカシュでも飲んでいるかと思っていたが。。。 俺も酔いが回り舌も滑らかになって、西部劇映画「11人のカウボーイ」の話になったら、お父さんが、明日行く所はその撮影をした所だよと教えてくれた。 店を出て高速道路に入って、ドンドンスピードが上がって行くと遠くガードレールの脇に車が停止しているのを俺は気づいていたが、お父さんは気づくのが少し遅れていた、気づいた瞬間ハンドルを切った。ほんの一瞬遅れていたら、日本には帰れなかっただろう。 後で相方に聞いたら、レモンスッカシュでなくテキーラを飲んでたんだって。 それと前に車が止まっていた事も相方は知っていたのだと、だから俺は、「知っていたなら何故教えてやらないのだよ。」と怒ったら、「だって知っているのかと思った。」だとこの野郎。 一夜明け外を見たら、緑があまり見当たらないし赤茶けた埃ぽい感じ受けた。夜走ったので分からなかったが、こりゃ砂漠だね。 お父さんが迎えに来て一路目的地に行くのだが、何処に行くのかをそれを知っているのはお父さんのみ、ただひたすら砂漠を一直線、本当に一直線という言葉が当てはまる程の何十キロの道、遠くに見える山の中に突き刺さって行くみたいだ。 お父さんが言うのには、「ここから100マイル(約160km)走っても街はない。山に掛かっている靄みたいのが見えるだろう。あれは、数日から続いている山火事の煙だよ」 走る事2〜3時間、あちらこちらに火柱が見えている。 街の名前は、忘れたがレストランで昼食にする。 昔、この一帯山が火事に見舞われて、それを大熊が救ったとの伝説があり、4mはあるだろう熊の人形が建っていて、スモーキーベアと呼ばれているそうだ。 日本人には、あまり知られていない小さな観光地だ。 次の街は、リンカーンという。 これも小さな街の観光地で、あの有名なビリーザ・キッドが投獄されて、その後に脱走した刑務所を見学した。 西部劇映画好きな俺には、思いもよらぬご褒美頂いた。 そこから30分位走った地域が、我々にRopingを教えてくれる牧場があるらしく、お父さんは、昔Cowboyで、この辺の地理とか牧場は詳しい。 お父さんにとって、ニューメキシコは言わば地元だ。
大柄な(40歳前後)牧場主とお父さん近づき話をしている。 と、交渉が成立らしく我々に手招きして、呼んでいる。(探し始めてから2時間弱) 紹介がはじまった。東洋人(南テキサスの時は。中国人に間違われた。)まして日本人を見るのは初めてなのではそんな素振りで 「英語は、喋れるのか?」 俺でなく相方に「喋れます。」 「それならいても構わないよ。」決まった。 それを見届けると、お父さんは手を振り帰えって行った。ご苦労様でした。 Ropingの場所は、決まったがこれから2週間の宿とレンタカー探し、そこで奥さんが案内役を申し出てくれたのだ(他に家族は小学年の男の子2人)。 この奥さんは、バレルホースのトレーナー兼選手だそうだ。 ランチを背にして右に1時間程走った所に大きな街があり、奥さんがランチを出る時にレンタカー店に予約を入れていてくれたが、セダンの車は無く有ったのは真っ赤なピックアップトラック。 店員が、「あれで良いなら値段も同じだし、どうでしょう。」 「乗用車なんて乗りたくない。Cowboyは、ピックアップトラックでなけりゃ。」 俺が言ったら、奥さんと店員の笑いをとって決まり。 ここで奥さんと別れ、まず Rope購入ということなので、店を探したのだがオクラホマやテキサスみたいな専門店はなく(奥さんに店を聞いておけばよかった)、日本で言うと農機具屋さんみたいな所にあった。その割には、良いRopeが置いてある。 次は宿探し、この街からだとランチには少し遠いのでもっと近くが良いと、今日はこの街に一泊して、明日探す事に。 翌朝ランチにいく、と家族全員で出迎えてくれ部屋に案内され子供たちにも紹介をされた。 「何もかも気軽に使って結構よ。」とても家庭的な人達だ。 早速タックルーム(馬具を置く場所)へ。 「このサドル(鞍)とブライダル(頭絡)は、お前で使用後此処に戻す。馬はこの馬房の奴をと指図され、馬装開始、一応ブラッシング、うら掘り等をした。プロテクター(馬の足を保護するもの)はない。
日本人がRopeを回すのが珍しいのか、子供たちは興味深く纏わり付いてくる。 相方は、馬に跨りいじりだしたら、牧場主が「そんな事などしてないで、とっとと牛を捕まえろ。」 俺も馬に跨り、牛の群れに近づきフェンスに追い込む。 その時、子供達はハシャギ、牛に近づき過ぎたのか馬が立ち上がり俺は背中から振り落とされて、馬の後ろ足で自分の足首を踏まれた。骨折はしなかったが、前科がある(2002年に人馬転し骨折)その時の事が頭に浮かんだが、それより日本を発つとき旅行保険の契約をして来なかったから、こちらの病院通いは高額なお金が掛るらしいので治療代の方が気になったが、大事には至らなくてよかった。 「コラァ 二度とそんな事をしたら許さんぞ。」 父親に子供たちが怒られた。 この日はモーテルを探さなくてはならないので、早めに切り上げてその帰り道、今度はランチを背にして、左に昨日来た道を30分位戻った所で宿を見つける事が出来た。小さな街だがスーパーマーケットもガソリンスタンドもある。 明日から通勤だ(二晩目の夜)。 朝は俺が運転し、帰りは相方が運転。 ランチに着き、勝手に馬装し牛の群れを連れて来て、これまた勝手に遊ぶというか練習をする。 午後から子供達が加わり、その日が終わる。 日曜日などは子供たちが俺たちを待っている。 ある日の午後、父親が 「今夜近くでロデオがあるから一緒にいかないか」 「ロデオがあるのか見たいね。」と会場へ。 そこには既に大人、女性、子供達迄集まっている。 ロデオ?ブル(雄牛)ブロンコ(跳ねる馬)は何処? 集まっているのは Roper達だけ。 日本なら暴れ牛や暴れ馬を連想するが、此処では Ropingだけでもロデオというそうです。 ナイター整備がされている大き目の公園といった感じの場所、放送席もあり受付でお金を支払う。 抽選で Header と Heelerを決め、相手が決まって互いに握手している光景が見られた。 父親も参加したが、成績が振るわずそれを応援していた兄ちゃんの方が、泣き出してしまい父親はグット抱きしめていた姿を、見たらこちらも胸を締め付けられるものが。 今日は。コンボイ(大型トレーラー)が置いてある。何処に行くのか聞いたら、馬のオークションへ行くという。 その牧場主の姿が、夕べの Roperとは打って変って、真新しいハットにジャケットにタイ、折り目の入ったジーンズとブーツ、こんなおしゃれしてセール(オークション)へ行くのだ。 我々もそれとなくその日の課程をこなし宿へ。 昨日父親が、セールの帰りに子供達のお土産に子牛(Calf)買って来てくれたのだと、子供達は朝から喜んで遊んでいた。 俺たちも誘われた。 ルールはこうだ。 シューターの扉にRopeを縛りつけ、子牛がシューターから飛び出す処をローピングで掛ける。馬に乗らないでやるCalf Ropingだ。 子供たちは、慣れたもので5割は掛かかる。 午後からは、針金で作られたダミーで、子供の兄弟組と俺たち組で Team Ropingの試合をする。負けたほうが腕立て伏せを10回。 勝てない。完全に舐められた。 この土地は雨の少ない乾燥地帯だから、木の葉は針の様に尖っているのは、水分が少なくても生きられるようにということだろう。 だから馬を洗っても10分後には乾いている。唇は割れるし、リップクリームは必需品。その代わりビールは美味い。 指導者もいない。ただ二人で牛を追い掛け回した牧場も最後の日の前々日、牧場主から、「明日もロデオに行かないかい。子供達も出場する。その子達も来て欲しいと言う。」 「無理かもしれない。帰る仕度もあるし。」 「そうか。 あの子たち悲しむだろうな。」
「子供たちには挨拶できなくて可愛そうだが、帰ります。お世話になりました。」 牧場主が「帰るなら早く帰ってくれ。何も言わずに。」 握手を交わし、走り出したが気になるので車窓から見たら、子供達二人が馬草小屋にジート背を向けたままだが、見送っているみたいだった。 「ごめんね。さようなら。」 2週間前の道を戻るが、未だ山は燻ぶり続けている。 交代しながら走り続けいたら、山火事は道路近くの牧場付近に迫っていた。 もし、2〜3時間遅れたら通過は不可能であっただろう。 レンタカーを返し、搭乗手続きしていたら飛行機が故障で飛べないことになってしまって、飛行機会社の責任なのでホテルを用意して頂き、一日徳をした感じになった。 俺もアメリカ上陸はこれが最後かな Hey Cowboy |