Horseman's Column title

   VOL.15 「Making Respect &
Softness to Rider」 


 乗馬において馬とライダーの関係として、「馬がライダーの指示に対して、柔軟に反応し
絶えず敬意を払う精神状態を維持する。」は、理想型でありゴールといえるのでないでしょうか。
 しかしその実態は、どのようなものなのかを実感したり作ろうとしたりして、求めて行くには
どうしたらいいのか中々分からないというのが現状でしょう。


 これらを理解したり実現したりするには、先ず馬が柔軟であるとかしなやかというのが
どういうものなのかを知る必要があります。
 このことはこれまでさんざん至るところで話したり書いたりしましたが、
中々日本に定着しない感がどうしても私の中にあるのは、何故なのでしょう。


 馬がライダーに対して、リスペクトし柔軟に反応するということは、乗馬の第一歩であり
ゴールです。しかしその第一歩がライダーに理解されずに、乗馬が日本において展開されているのは
嘆かわしいことです。

 日本の乗馬社会で、リリースという言葉が至るところで目にするようになったのは、 
ここ10年ぐらいのことでしょう。このことは大変嬉しいことですが、本当にこの言葉が持つ意味を
理解して使われているとは思えません。


そもそもメンタルとフィジカルを厳密に区分することは、不可能なことであり意味ないことかも
知れません。しかし我々が乗馬をする上では、概ねメンタルとフィジカルを区別して考えたり理解
したりする必要があります。

その上で我々ライダーが行うプレッシャーとリリースは、そのどちらに訴えるのかを自覚して、
行わなければリリースすることによって、起こる馬の反応の変化が持つ意味合いをライダーが的確に
理解することができない。更にこの理解ができなければ、更なるライダーの扶助も適正を欠くものに
なってしまうし、当然馬からライダーへのリスペクトは作れないし、馬のフラストレーションは募る
ばかりになってしまうに違いありません。


一体全体馬がライダーに対して従順になるということは、どのようなメカニズムなのでしょう。
初期段階において、ライダーと馬は互いに違う結果において安心を得る。

例えば、ライダーは、馬がいつもライダーの意図に気を配り、且つ極度に緊張していないことに
よって安心を得る。

一方馬は、外的刺激やプレッシャーが自分自身に危害を及ぼすものでないことを理解するか、
その刺激やプレッシャーがないか気にならないかによって安心を得る。
本来安心を得るということは、安静状態の継続によって実感するものではなくて、緊張状態からの
解放によって安心を実感するものなのです。

しかし人が馬に騎乗している状況下においては、馬はライダーが何らかのプレッシャーを与えようと
していなくても、人に乗られているだけで可成りのプレッシャーを受けていると考えられる。
一方人は、馬がどのような精神状態にあるのか、今後起きるであろう事態に馬がどのような反応を
するのか分からない状況であれば、それだけで不安になる材料は充分すぎるほどで、
特に初心者であればなおさらです。

生命体における精神や筋肉の緊張は、その生命の維持機能におけるプレッシャーに対する
プロテクト作用であるといえるが、知能作用としての学習機能において、プレッシャーイコール
緊張ではなくて、ある特定されたプレッシャーに対して精神的緊張がなくなるわけではないが
それだけではなく、そのプレッシャーの意味を理解して要求される行動をすることができるようになる。

プレッシャーの意味を馬が理解するということは、理解しなかったこれまでプレッシャーに対して
精神的緊張と共に不安感を引き起こし、フィジカル的緊張を伴うということだったのが、
プレッシャーに対して精神的緊張を引き起こすのは同じことなのですが、直ぐにプレッシャーの意味を探り、
求められる運動に転化しようとする。このメンタルの働きは、意味を理解できなかった緊張と違って
不安を伴わない緊張で、ライダーに対して意識を向けるようになる。

更にこの一連の学習が熟練すると、精神状態が安静のままそのプレッシャーの意味することを理解して、
そのプレッシャーをライダーから求められる運動として転化する。

馬のトレーナーが実践することは、プレッシャーとリリースを一定の法則で繰り返し、「プレッシャー」から
「緊張並びに不安」といった関連動向を「プレッシャー」から「緊張」そして「要求に対する反応」
という関連動向へと転化する作業なのだということができます。

プレッシャーとリリースを一貫してライダーが行うことによって、馬はプレッシャーの意味を理解して、
プレッシャーをライダーの要求と理解して、その要求に応えようとするというような行動法則となります。

一貫性は、馬の学習と直結することなので極めて重要なことです。この一貫性とは、
「プレッシャーを与え、馬がライダーの求めに従った運動を行ったときに、そのプレッシャーを解放
(リリース)する。」という一連の動作を法則として行うということです。


しかしこれだけで馬がライダーに対して、リスペクトしたり従順になったりするというわけにはいきません。
馬がライダーに従順になるには、プレッシャーを与えるときや求める運動が一定の法則のある行動パターン
になって、馬が次に求められる運動を予測できてしまうような一貫性があってはならないということです。
馬が予測できてしまうということは、馬の意識がライダーから離れてしまう原因を作ってしまうことになって、
これを繰り返せば、馬はライダーにコンセントレーションしなくなります。
馬がライダーの求める運動を予測できないように、アトランダムに指示されれば、馬はライダーから
来るであろう指示に対して、絶えず意識を向けるようになり、そこでプレッシャーとリリースが一貫して
いれば、馬は絶えずライダーに意識を向け、その指示に従ったときに必ず一貫してプレッシャーからの
解放があれば、馬はライダーの指示に従ったときだけ安心を得るという法則になって、安心を与えてくれる
ライダーに対して従順さを生み、次第に馬はライダーに対してリスペクトするようになるのです。


そこでライダーから馬へのプレッシャーとリリースを馬の学習機能を活用して、緊張から緩和へ
(緊張→反応→緩和)転化するようにしなければ、馬はライダーの扶助や指示を快く従順に受け入れる
ようにはならない。そしてライダーは、これらの馬の思考や行動の法則を実現することによって、
ライダー自身の思惑と馬の行動原理が一致する現象を能動的に引き起こすことによって、馬の従順な
精神状態を把握しているという実感をもって安心を得る。

このようなメカニズムの実践が乗馬そのものであり、乗馬におけるパフォーマンスを馬のライダーに対する
リスペクトと一体的にライダーが思考して、馬のメンタルとフィジカルをコントロールしてこそのスポーツ
だと極論することができるのです。


具体的に馬が学習機能を発揮して、外的刺激やプレッシャーを馬が緊張から緩和に転化するよう、
ライダーが実践するということは、どういうことをしなければならないのでしょう。
先ず馬にとって、最もシンプルだと思われるフィジカル的運動を、最もシンプルだと思われるプレッシャーを
馬に与える。そして、馬が求められるシンプルなフィジカル的運動を起こすまで、プレッシャーの強弱を
加減して正解を得たときにプレッシャーを解放する。

この法則をライダーが一貫して続けることによって、馬はそのプレッシャーイコール緊張という法則から、
そのプレッシャーイコール求められる運動、そしてリラックスという学習をして精神的安心を勝ち取る。
この繰り返しが「馬がライダーに対する従順性を増幅する。」メカニズムであり、次第に馬は
ライダーに対してリスペクトするようになる。




ここまでの論理が理解できたところで、馬を柔らかくするということについて話を進めることにしましょう。

馬が柔軟であるということは、ソフト(Soft)とかサポー(Supple)とかと表現される。
一方馬が硬いとは、スティッフ(Stiff)とかタフ(Tough)とかと表現される。
これらの馬が硬いとか柔らかいとかというのは、一体どうことなのでしょう。
因みに馬の硬軟をライダーは、どんな時にどんな風に感じるのでしょう。
レインを引いたり脚を使ったりしたときの馬の反応に、抵抗があったり軽くなくて重く感じたりしたときに、
馬が硬いと感じる。また一連のトレーニングを繰り返しても中々柔らかくならないときには、タフだと
感じることでしょう。

馬をソフトにする場合は、オーソドックスな方法として馬をハミにぶつけるように脚でドライブして、
馬がハミに対して譲ったときにレインによるプレッシャーをリーリーする。これを繰り返す。
ここで何故リリースするのでしょうか。という一つの疑問が浮かび上がる。

もし人が柔軟体操をする場合のように、関節や筋肉などのフィジカルをストレッチして、柔軟にしようと
するのであれば、リリースする必要があるのでしょうか。

脚で馬をドライブするという要求は、フィジカル的運動を求めているわけですが、馬が要求通りの反応をしたときにリリースすることによって、馬のメンタルに対して反応が正しかったこととして馬が学習するように、特にライダーの指示と馬の反応が一致するようにリリースすることで、馬のメンタルに訴えかけ馬の学習を促すというメカニズムなのです。


従って馬の硬軟は、健康体であれば馬自身のメンタルに起因すると考えられるのではないでしょうか。
ライダーが「馬の硬軟はメンタルが起因する。」と理解して、指示・命令・扶助等を行うことによって、
馬の反応がその指示に一致したものなのかどうかをライダーが意識するようになり、リリースするか
もっとプレッシャーを強くするのかを判断して、一つの指示における馬とライダーのコミュニケーションを
ライダーによるリリースで完結するようになる。

もしライダーが指示をするだけの一方的なものになれば、馬のフィジカルに対してのみ要求するだけ
ということになってしまい、馬のメンタルとのコミュニケーションは成立しない。
そして馬はライダーの指示に対して、メンタル的に対応しようすることを止めるようになったり、
フラストレーションが蓄積してしまったりします。そうなるとライダーは、脚やレインによる指示を
送るときに堅さを感じるようになる。


日本の馬は、ウエスタンブリティッシュに限らず概ね硬い。
それは多くのライダーが口では、「馬とのコミュニケーション」とか「人馬一体」とか言いますが、
実際には動物と精神的コミュニケーションの文化がなくて、本当の意味合いをロジックに理解している人が
少ないからだといえる。

私が馬を乗ることイコール調教であり、初級上級やプロアマを問わず、馬に乗るときは、全ての人に
調教の意識が必要だといったり、誰にでも馬を調教する意識で馬に乗ったりすることが大切で、
ライダーの上達に最も有効な方法だと唱えたときに、多くの人達に理解されず、そんな危険なことを
お客さんにはさせられないという人さえいました。
未だに馬のメンタルとライダーがコミュニケーションして、乗馬をする以外に乗馬というものが存在しない
ということが理解されていない。
日本における乗馬の練習法の殆どが、馬の背中にどう乗るのかに始まって、ライダーが上達してからでさえ、
どのように馬に乗るか、スィッチの押し方としての扶助の仕方を練習することの繰り返しを半永久的に
続けている。

どのようにライダーと馬とのコミュニケーションを形成するかをロジックに説明できるインストラクターの
養成することが、日本の乗馬のクォリティを飛躍的にアップすることになるし、多くのライダーが
馬のメンタルに扶助するよう意識するようになれば、日本の乗用馬が柔軟になって、馬の精神が安定して
フレンドリーな本来の馬の姿を我々に見せてくれるようになることでしょう。
日本の乗用馬が「人に対してフレンドリー」で「安定した精神状態」を維持できる能力を有する馬として、
世界から評価され、何よりも日本の乗馬する人達が騎乗したときに、先ず心に宿す思いが
「馬が何かするのではないか?」から「馬に何をさせようか。」という乗馬への変革を
もたらしてくれることでしょう。

                    2008年4月11日
                  著者 土岐田 勘次郎


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