今月は、レイニングにおけるエキサイティングパフォーマンスであるスピードコントロールについて、お話ししましょう。
スピードコントロールは、そのほとんどが馬のメンタルに依存するパフォーマンスです。
馬がライダーの微かな指示に対して、速いスピードで走っている最中に、神経を集中していなければ、できないパフォーマンスです。 また、ライダーの馬に対する意識によって、簡単に壊れたり良くなったりするパフォーマンスでもあります。
私の場合は、スピードコントロールで特にスローダウンするとき、シート(座り)の力を抜いてリラックスし、それまで前傾していた姿勢を起こすようにすることによって、馬がスローダウンするようにしています。そして、レインを引くことなしにすることを目標に掲げています。
私は、スピードコントロールのトレーニングをするときに、馬の素質を診断します。
それは、スピードコントロールの素質を元々持っているのかそうでないのかです。
具体的に申し上げると、素質を持っている馬は、ライダーが指示したときに、スィッチオンの状態になり、指示をリリースすればスィッチオフになる馬です。
これに対して、素質のない馬は、極端にいうと何時もスィッチオンの状態にあり、ライダーの指示は、スィッチオフに使わなければならないホットな馬で、ライダーが何時も馬のリラックスに、気を遣わなければならい馬のことです。素質のある馬は、どちらかというとウエイクアップに気を遣う馬といってもいいかもしれません。
スピードコントロールにおけるライダーの陥りやすいブラックホールは、ライダー自身が自分のしていることを冷静に見えてないか、見ようとしていないかによって起きます。
1. スピードサークルの時に、ライダーがリラックスしたシートになっていないために、馬がナーバスになってしまう。
2. スローダウンの時に、ライダーが上体を興すのと一緒にレインを引いてしまってリリースできない。
3. スローダウンの時に、脚の力が入って馬をスクィーズしてしまったり、スローダウンを促すために、何時もレインを強く引っ張ってしまったりして、センターで馬に何かされるという恐怖感を植え付けてしまっている。
4. スピードコントロールがいいために、ライダー自身が楽しむために、何度も繰り返して、スピードコントロールのクォリティを悪くしてしまう。
5. スピードコントロール対して、ライダーが理想型のイメージを持っていないので、その精度を上げることができない。
6. スピードコントロールの精度を上げようとするあまり。馬をナーバスにしてしまう。
7. その他。
まず1について。 「スピードサークルの時に、ライダーがリラックスしたシートになっていないために、馬がナーバスになってしまう。」
ライダーが、自分の技量以上のライディングをすることや馬の技量以上のパフォーマンスを求めることを、オーバーライディングといいます。
馬に乗るということは、「馬の調教」を意識しなければならないことは、これまで何度も何度も繰り返し言ってまいりましたが、「馬の調教」を意識するということは、馬の明日を考えるということです。
従って、スピードサークルをするときに、優先して意識しなければならないことは、馬のリラックスです。もしライダーの技量以上にスピードを上げて乗れば、落馬の危険は勿論のこと、馬がスピードを上げる度にナーバスになってしまう可能性が大きくなってしまいます。
馬のリラックスの範囲でスピードを上げるということは、スピードコントロールをする上で、最も優先しなければならないことで、それがライダーのバランスの問題でも馬の問題でも、馬のメンタルの許容範囲ということを、ライダーは最も意識しなくてはなりません。
オーバーライドは禁物で、ライダーのレベルや馬の許容範囲での、スピードを心がけましょう。
2について。 「スローダウンの時に、ライダーが上体を興すのと一緒にレインを引いてしまってリリースできない。」
このことをライダーに注意すると必ず帰ってくる言葉は、「えっ リリースしているつもりだった。」です。
その度に、私の返す言葉は、「つもりは、どうでもいいです。リリースになっているかどうか、確認してみるぐらいの意識を持ってください。」となります。
実際には、ライダーのシートの加減で馬がスピードを落として、良い反応をしているときにこそ、ライダーのリリースが必要なのです。
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3について。「スローダウンの時に、脚の力が入って馬をスクィーズしてしまったり、スローダウンを促すために、何時もレインを強く引っ張ってしまったりして、センターで馬に何かされるという恐怖感を植え付けてしまっている。」
先ずライダーは、スローダウンの指示を馬に対して、どんな方法で行うのかを決めなくてはなりません。
一般的には、やはりライダーの指示がはっきりと見えないのに、馬がスローダウンするのを評価します。
これを例としてお話しすれば、スローダウンの切れ味が悪くなっていったり、アリーナのセンターに、近づくに従って馬がスピードをあげるようになったりしたとき、最初にライダーがチェックしなければならないことは、自分がやっているつもりに、なってはいないかということです。
それから馬に対して、必要なことは何かを考えることが何より重要です。
この手順を忘れると、ライダーにとっては、なんだか分からないうちに、馬が悪くなってしまった、という風に感じるのです。こうなってしまう原因の多くは、ライダー自身の奢りに、他なりません。
ライダーは、何時も自分を冷静に見て、判断することを優先するマインドを持つことが大切です。
4について。「スピードコントロールがいいために、ライダー自身が楽しむために、何度も繰り返して、スピードコントロールのクォリティを悪くしてしまう。」
この問題は、乗馬の理念に関わる問題です。
日本の乗馬環境がもたらす弊害で、馬を軸に乗馬をするという意味を、深く理解できていないことによって、起きることです。
馬を軸に、乗馬をするということは、ライダーの満足や楽しみというものは、馬からもたらされるという、まるで当たり前のことを、ライダーがどんな時も意識しているということです。
例えば、スピードコントロールについていえば、馬のスピードコントロールが良いのかどうか、または、もっと良くなっているのかどうか、がライダーの満足とか楽しみに、直結している必要があるということです。
5について。「スピードコントロール対して、ライダーが理想型のイメージを持っていないので、その精度を上げることができない。」
ライダーの思考回路の問題で、やはり日本人の特徴がもたらす現象です。
ものを考えたり、難問にぶつかったりした時、ダイレクトにその問題の解決に、立ち向かってしまうという特徴です。
これは、近視眼的に、ものを見てしまうということです。
一旦自分を引いて、全体を俯瞰するという訓練が必要なのです。
自分を引いて全体を俯瞰するとは、問題や課題に対して、本来あるべき姿や理想像をイメージするということを、問題の解決に向かう前に、行うということです。
現状をどのように、自分自身が評価したり、問題をどのように理解したりするのに、そのあるべき姿や理想像をイメージして、現状評価も問題の本質を見るのも、より正確になったり、より生産性が高くなったりするものなのです。
6について。「スピードコントロールの精度を上げようとするあまり。馬をナーバスにしてしまう。」
この問題も5と同様に、向上を求める余り、元も子もなくしてしまうというリスクも、また、ライダーにとって、クォリティの理想像をイメージできているかどうかで、やり過ぎて却って馬を壊してしまうということはなくなります。理想像をイメージできていることによって、全体を俯瞰して現状を正確に認識することができるようになれば、このような弊害を来すリスクはなくなるのです。
スピードコントロールは、馬のメンタルが何に、一番向いているかということが、鍵になると考えています。
普段の馬場で、スピードコントロールが非常に良かったとしても、競技会の本番では、ライダーも馬も緊張して、互いに対して意識を集中しなくてはならないのに、緊張することによって、コンセントレーションを阻害してしまい、普段のような成果を出すことができないという結果になります。
つまりトレーニングの段階で、馬やライダーが緊張して、ライダーに対するコンセントレーションが阻害されてしまうということを、想定しておかなければならないということです。
それには、私の場合、スピードを上げている最中に、馬が絶えずライダーからスピードを上げさせられているという状態であるようにします。上体を前傾するとか、推進を与え続けているというように、馬に分かりやすくスピード上げるようにします。
そして、上体の前傾を元に戻しドライブを止めて、スピードを落とすように指示します。馬がスピードを落とせば、なるべく早めに止めて休みます。スピードが落ちなければ、1〜2ストライド進んでから、ストップします。
ライダーの指示とストップに、少しだけタイムラグを作ります。
そのことによって、ライダーの姿勢が変わったり、ドライブが弱まったりしたとき、馬は止められることを予想して、スピードを落とすようになります。スピードを落とすようになれば、なるべく早めに休んで、褒めてやるようにすればますます良くなります。
スピードコントロールは、ライダーと馬とのメンタルの能力を、試されるパフォーマンスです。
そんな意味で、ホースマンとしての醍醐味を一番感じることができる、パフォーマンスであるということもできます。
乗馬は、メンタルゲームだと言われる所以を実感してみては如何でしょう
2008年10月2日
著者 土岐田 勘次郎
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