この度、手記が掲載される事になりましたが、なにぶん数や文字を覚えるより映画俳優の名前や流行歌を覚えるのが得意でしたから、文字を書くとなるといささか抵抗を感じるが、これも会長の使命と思い、恥をしのんで遺書を残す事に致します。しばらくの間お付き合い程・・・・・。 |
・・・題して俺のWestern人生
VOL.1 映画少年
昭和20年代は小学生、まだまだ何も無い時代、娯楽といえば映画・ラジオ・祭り・盆と正月ぐらいかな、お祭りは農家の人達の骨休みなので大賑わいするから。 その他、小学校の校庭で青年団(有料)が見せてくれたが年に何度もない、だから盆と正月が来るのが楽しみだった。バスに乗って街の映画館まで観に行けるから。ましてや昼間なので、外燈の少ない真っ暗な夜道を走らなくてすむ。 あの頃の映画スターで、子供心に覚えていたのが、長谷川一夫・高田浩吉・北上弥太郎・大谷友衛門・嵐 寛寿郎(鞍馬天狗)・大河内伝次郎(丹下左膳)・美空ひばり・川田晴久・古川ロッパ・堺俊二、子役では松島トモ子・小畑やすし・設楽幸司の三人が売れていたね。( )内は当たり役。 憧れたのは高田浩吉の股旅物。 縞の合羽に三度笠 手甲脚絆に草鞋を履いて 振り分け荷物を肩に掛け 腰に長脇差一本落とし差し と、唄いながら街道を歩く姿は、今でもやってみたい恰好の一つだね。 ラジオはピーピーガーガーと、雑音が多いのによく聞いた。 と、主題歌が流れると、ラジオから離れられなくなってしまうのは、今の子供達とちっとも変わらないね。 この連続放送劇を映画化して、大当たりしたのが東映時代劇。「紅孔雀」などは、一部から五部まで続き、おまけに大会(総集編)まであったよ。20年代後半〜30年代前半の盆と正月、東映は常にNo.1の興行収入。 いい役者がいたね! 市川右太エ門・片岡千恵蔵・大友柳太郎・東千代之介・中村錦之助(萬屋)・若様の大川橋蔵・山手 宏・伏見扇太郎・里見浩太郎・尾上鯉之助・月形龍之介。 悪役も揃っていた! 山形 勲・進藤英太郎・薄田研二・吉田義夫・原 健作・加賀邦男・阿部九州男・三島雅夫。 それから女優では、花柳小菊・浦里はるみ・高千穂ちづる・田代百合子・雪代蛍子・千原しのぶ・大川恵子・丘さとみ・桜町弘子・円山栄子・花園ひろみ・中原ひとみ・長谷川裕見子。 なかでも長谷川裕見子は、二回目(?)の初恋の人に似ていたのでファン。いまでも同窓会などでその人と目があったなら、ドキドキしちゃって口もきけなくなってしまうほど純情なの、私って! こうやって時代劇映画一筋でしたが、昭和31年に、日本映画界に嵐を呼んだ男が現れた。石原裕次郎その人。 戦争中は洋物は御法度だったらしいので、戦争に負けて進駐軍が、どどっとやって来て、兵隊自身も自分の国の映画が見たかったのでしょう、洋画もどんどん上映され、勿論西部劇も例外ではなく、私は劇場で見たことはないのですが、俳優の名前は知っていた。 Jhon Wayne, Gary Cooper, Alan Ladd, Henry Fonda, アラン・ラッドの「シェーン」は西部劇ファンでなくとも誰もが知っていた。 も、ヒットしたね。初めて西部劇を見たのはTVだったと思う。 「名犬リンチンチン」 軍用犬(シェパード)と、ラスティー伍長という、子供の兵隊さんとの活躍を描いた騎兵隊のお話。 「シスコキッド」 ラストに必ず交わす言葉が決まっていて、メキシカンの相棒が、“オー シスコ”と言うと、キッドが、“オー パンチェス”と、返答で終わる。 「バッファロービルJr.の冒険」 ファーストシーンで、疾走する馬の右に左に、飛び降り飛び乗りするのが格好良く、馬に乗ってみたいと思ったのもこの時から。 「アニーよ銃をとれ」 モノクロだからわからないけど、髪はブロンドに見え、三つ編みに編んで、ハットは、背中に下げて、フリンジの付いたキュロットスカート、馬の背に立ったまま射撃しちゃう射撃の名手、西部の女アニー・オークレーの物語。 他に、「走れ!名馬チャンピオン」 「西部の勇者キット・カースン」 そして 「拳銃無宿」 これは、後に大スターとなったスティーブ・マックイーンの出世作。この「拳銃無宿」が知れ渡ったのは、銃に特徴があったからだね。 17歳の夏休みにアルバイトした金で、東京のデパートでテンガロンハットを購入、二十歳の誕生日が過ぎて直ぐに、中古だが国産銃の許可証を取得する。 翌年ライフル銃ウィンチェスターM94レバーアクション(西部劇でおなじみのライフル銃)を購入。もうこの時はまさにジョン・ウエインになっていたが、射撃や実猟(ハンティング)をしない人は、銃の許可証が取得できなくなってきた。 日本では、コレクション的な所持はダメ。20年間所持していた、ショットガンとライフル銃は警察に差し出した。 |