その五 2000/3/12 up
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今回は、がらりと趣向を変えまして、ドレッサージュ(馬場馬術)を修行中のあるブリティッシュライダーの方のご依頼でWebmasterが、その方のホームページに連載しているものを転載してみました。どちらかというとブリティッシュスタイルで乗馬をされている方向けの表現になっていますが、馬と接するすべての方に向けて書いています。
・なお、全文をお読みになりたい方は、「I
love
dressage」 http://www2.odn.ne.jp/~cbu59680/の「耳より講座」をご覧ください。
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【耳より講座】より 第2回、第3回をアップします。第2回 「センサーを磨く」
・・・一生懸命乗ってはいけない???・・・ 99/11/29
先日、うっかり中学生の娘に 「乗るときに、もっとちゃんとやりなさい。前肢で動いていて、重心が前になってる、前につんのめっていて、ハミに寄りかかるみたいになってるから、馬をもっと動 かして」と言いました。
五日後にその馬に私が乗ったら反抗の山になっていたのです。乗ったとたんになにか変?脚を入れると耳を伏せます。「え?なんで?」 なにかバラバラな感じで、リズムも変だし、何より反抗心を感じました。取りあえず、ウォーミングアップの後、広い方の馬場へ移動しました。こちらの方が馬の動きが大きくなるからです。しかし、輪乗りを開いてまっすぐに行かせようとすると、勝手に内に入ろうとします。ちょっと強めに叱ってたら今度はキックしたり、止まったり、駆歩の指示も無視、大反抗が始まりました。私の叱り方も乱暴だったし、推進脚のつもりがかえって馬をナーバスにしただけだったようです。
どうしようと思いましたが、取りあえず脚への反抗は、きちんとした駆歩をするまで蹴り続けることで押さえ、内へ入ることも断固許さず、次に同じ場所に来たとき、少しでも前より良かったら褒めるというやり方で何とか収まりました。よく考えたら、やり方だけを教えてはいけないと師匠に言われていたのを思い出しました。
やはりセンサーの問題でした。馬の反応を感じ取り、それにこまめに対応していくということが娘にはいまいち出来ていなかったのです。本人は一生懸命やったのですが、結果は別の問題を馬に作ってしまったのです。また、私も、そうなった馬を瞬時に感じ取って対応するということもまだまだでした。反省しきりですが、いかにセンサーが重要かと再認識させられたのです。
馬に要求することはできても、適切な時に適切な返事をできるかというとこれが意外に出来ていないのです。特に自馬でなくて、いろいろな人が乗るレンタルホースにしか乗らない人は、結果が馬に出ませんからわかりにくいかもしれません。
馬が、自動車と違うのは「心」を持っているということです。これは多分皆さんも頭では理解できると思います。では、実際乗馬中に馬はどういう心の働きでライダーの指示に従うのでしょうか。
例えば、右に行きたいという指示を馬にしたとき手綱や脚を使います。馬が指示通り右に動いたら、使った手や脚をいったん戻します。これが馬への「イエス、サンキュウ」という返事なのです。
このことを「褒めている」「返事をしている」のだということを意識して行うというのがまず第一歩です。調教はすべてこの原点から出発します。指示を馬が頭で理解して肢をこう動かす、という反応を起こす気(心)にならなければ馬は動きません。野生の馬は、引っ張ったら必ず引っ張り返します。初めにも書きましたが、「こまめに」反応に対して「返事を」しましょう。その反応を感じ取るには、感じようとする気持ちを持たなくてはなりません。かつ、具体的に感じ取らなくてはなりません。
例えば、手綱を引いて馬が素直に頭を下げたとき、そのままもっと下げさせようとするのではなく、いったんこちらも譲ることが「返事、褒める」です。この時手だけで引いてはいけません。手は抵抗のある部分で止めておいて、馬が自分から頭を下げるまで脚で前に出すことが肝心です。馬に、自分から頭を下げたら楽になったと理解させるためです。
この「抵抗のある部分」を見つけるのがセンサーです。そして手に感じる重さ(抵抗)がフッと軽くなるとき(抵抗がゆるむとき)を感じるのもセンサーです。そしてそれに対するレスポンス(譲り返す)の速さ、正しさも必要です。(馬の調教度合いによって変わってきます)
これは、こうして文章に書くと、ものすごく大変そうですが、実際はほんの一瞬で、馬がかくんと頭を下げ、そのままを維持したりするのが出来たときは「やったー」という感じでとても楽しいです。
これをコミュニケーションというのではないでしょうか。このセンサーが出来ていない、鈍いと感じるうちは自分のわかる範囲で、手なり、脚なりを使いましょう。0から始まって、1,2,3......10と段階をつけます。どこで馬が反応したかを覚えておきます。
どんなに自分のレベルが上がっても、また、上がるほどにこの段階は、密度を増していきます。調教の進んだ馬は、傍目から見てライダーが何も指示していないのに馬が勝手にやってるようにすら見えます。
そしてもう一つ大事なことは、馬がわかったかどうか確認作業をするということです。指示をだんだん弱くしていったり、例えばある場所に来ると内に切れたり、外に逃げたりする場合、何も指示しない状態でやらなくなったかを見ます。この時、何か指示したり、やらないように用心してはいけません。それでは調教になりませんから。そして、やらなかったら褒め(止める、愛撫など)やったら叱ります。
やり方だけを追求しても、うまく行かなかったり、馬をかえって壊してしまう場合が多々あります。そうなったら、いったん初めに戻って、単純な作業に分解してみましょう。時間で運動メニューを決めたりせずに、馬に合わせて決めます。ルーティンワークにならないように、時には順番を変えたりしてみるのも良いでしょう。しかし常に馬のリラックスを心がけてください。最後のクールダウンは精神的な作用も大きいです。
まず常歩10分しなさい、などと言われる場合もありますが、極端な話、馬によってそれすら出来ない馬もいます。また、張っていたりする場合は、自由に走り回ってからなんていう場合もあるのです。しばらく乗ってない場合は、常歩でたくさん歩かせた方が故障が少ないなどというのももちろんあります。
センサーを磨き、それが合ってるかどうか確認をする、ということを心がければ馬は、絶対に良くなります。「やり方」は、それが伴っていなければ無意味だったり、逆効果だったりします。
話は飛びますが、生前松田優作がテレビ出演して言ってました。「目で見る事などは、かえって鈍くさせた方が感じ取れるものがある」これは、知識(やり方)も同じではないでしょうか。
第3回 「乗馬というスポーツの特異性」・・・馬をやる気にさせる・・・ 99/12/2
乗馬が他のスポーツと決定的に違うのが、動物とともに行うということです。つまりこれは、馬をパートナーだと考えるということです。
しかし、そのパートナーは、決して自ら進んで、乗り手とパートナーを組みたいと思ったわけではなく、ジャンプやドレッサージュの達人になりたいと思っているわけではありませんよね。では、そんなやる気のないものをどうやってやる気にさせるか?というのが乗馬の本来の目的ではないでしょうか?技術や、やり方をどんなに知っていても、馬をやる気にさせられないのではどうすることも出来ません。だからこそ、人間が馬を知り(馬は人間を知りたいとは思ってないでしょう)相手に合わせた態度をとる必要があるのです。
馬術や乗馬の本を読むと、馬がパートナーだ、というところまでは書いてありますが、その後いきなり馬の手入れの仕方とか、耳で気持ちを判断するとかいう方向へ行ってしまうものが多いです。馬を扱う心構えについては、あまりきちんと書いてなかったり、馬の後ろを通ったり、大きな声を出したりするなという注意だけのもあります。
馬を扱うときは、絶対的な主従関係を意識することが重要です。しかし、横暴でわがままな君主ではいけません。良いときはほめ、悪いときは注意し、時には叱り、相手の理解できる言葉(=ほとんどボディランゲージ)で伝え、人間に対する従順さと注意力を持つようにしむけます。
こちらが何を望んでいるのか、アバウトではなく具体的に、特に新馬の場合などは、ひとつひとつ丁寧に馬に伝え、かつ馬の出した答えに、こまめに返事をしなければなりません。これが馬のやる気を作ります。ちゃんとやれば楽にしてくれると馬が学習するからです。
馬の身体の全ての部分を動かすのは、馬自身の心(頭脳)です。決して、合図=>動く、ではありません。
合図=>脳が何の意味か判断=>動く、なのです。このためには馬がリラックスしてる必要があります。リラックスというのは、ただボーっとしているだけではありません。集中力のためのリラックスです。リラックスしていないと、馬はライダーに集中せず「脳が判断」の部分が機能しにくくなり、馬の理解力を越えれば暴走、反抗などの問題がおきる場合や、人間への不信感を持ってしまう馬もいます。人間の技術が上がれば、当然馬をやる気にさせるという技術もついてくるでしょうが、日本の指導は、どうもその辺がとてもないがしろにされている気がしてなりません。ほとんどが目に見える姿勢の注意ばかりだったり、馬の扱いにしても、馬のいやがることはしないようにとかです。
馬をどのように扱えばいいのか、どうすれば従順な馬ができるのかという指導を重要視して行っているところはあまり見かけません。 ほとんどが仕切った馬場での部班レッスンというのも問題です。馬の心理的な面は軽視され、ライダーのためだけの練習となっています。
お客さんは、埒(らち)沿いの蹄跡行進が馬にどんな影響があるのか、馬にとっての部班レッスンの問題点はどのようなものかはほとんど知らされていません。指導員の中にも知らない人が多いと思います。(これについては、また、あらためて書きます)
馬をパートナーとするスポーツであるはずなのに、自分のお尻の下にいる馬が何を考えているかなどということはほとんど考えずに、自分のための練習だけだったり、自己満足だけだったりしています。
調教しようと思ったその時だけが、調教ではありません。上手い人が乗ればそれなりに、下手な人が乗ればそれなりに、どんな状況でも、馬は否応なくそのように調教されていってしまいます。
よく「馬が壊れる」と言いますが、そのように調教されてしまったのだと思われると良いかもしれません。乗馬というスポーツを、パートナーである馬と、お互いギブアンドテイクで楽しむには、人間が馬の方に合わせる必要があります。馬に乗ろうと思ったときから、それを意識して欲しいと思います。その方が早く上手くなるし、馬にとっても幸せです。
つづく