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今日は、一年最後の日です。つまりは、大晦日です。とても穏やかで暖かです。
馬場は、まだ奥に水溜まりが残っていますが、外はベストコンディションです。
大晦日は、大つもごりともいいますが、一年間ご愛読頂きまして感謝申し上げます。思いつくままに書き殴っております。また来年も今まで通り思いつくままに、書いていこうと思っておりますので、来年もよろしくお願い申し上げます。
インストラクティングにおいて最も大切なことは、ライダーのジャッジメント能力を養成するという視点だと思います。
一般的なインストラクティングのテーマは、ライダーのスキルアップのために色々なテクニックや、ライダーの悪癖等の矯正とかが主なものとなっていることが多いと思います。
ライダーは、馬に乗るときその時々においてどんな状態なのかを解釈して、また必然的にどんなテクニックを使うのかを絶えず自らの判断によって、決定しなければなりません。
その都度何故そのテクニックを用いるのか、どんなときに用いるのかという判断をテクニックと一体的にライダーは求められながら馬に乗るわけで、インストラクティングの段階からライダーのジャッジメント能力とテクニックを一体的に指導養成しなければならないと云うことになります。
乗馬というスポーツの特徴がここにあるわけで、馬をコントロールすると云うことは、馬の反応をライダーの要求通りにすると云うことであり、それはライダーにその都度判断が求められて、その判断の下に駆使しなければならないテクニックを選択し、それによって馬の反応が生じて、その馬の反応を見て更にライダーが判断を下し、更なる要求をするといったことを繰り返すと云うことに他なりません。
つまり乗馬は、ライダーの要求、馬の反応、ライダーの判断、そして要求、そしてまた馬の反応という繰り返しを行うものなのです。
この特徴を考えますと、ライダーはジャッジメント能力とテクニックを身につけて上達すると云うことでありますから、当然インストラクティングはそれらを一体的に行わなければならないという理屈になるわけです。
インストラクティングで陥りやすい過ちは、ライダーのテクニックと馬のコントロールとをセパレートして指導してしまうと云うことです。そしてまた馬の反応をライダーがどのように解釈して、次の要求を選択するかと云うことを度外視して、インストラクターがジャッジし、ライダーにテクニックのみを指導してしまうということです。
例えば、そのようなインストラクティングの基にライダーがテクニックと身につけたとしても、指導中にインストラクターが何時も判断してライダーに今何すべきかを指示していたら、決してライダーは独自に馬をコントロールできるようにはなりません。
しかし実際にライダーのジャッジメント能力とテクニックを一体的に養成する指導法は、そう簡単ではありません。
ではどのようにすればいいのでしょうか。
ライダーのジャッジメント能力とは、一体何なのでしょうか。
ライダーがするジャッジメントとは、馬の反応を正確に読み取る感覚とこれによって次に何をすべきか、という判断の2つの要素が内在しています。
フィールとして感じたものを何らかの意味あるものと解釈して、次の要求を判断して馬に指示するには、感覚を養成する必要性があることは論を待たないが、ライダーが馬の反応を読み取る感覚を養成することは一番大切なことであり、ライダーにとって永遠のテーマといっても良く一番難しいことだとも云えます。
ライダーのフィールを養成するためには、馬の運動やフィジカルやメンタルのメカニズムを知る必要があり、それらに対する理解や知識が馬の反応の一つ一つに意識を向ける第1歩になります。このメカニズムに対する知識が実は、ライダーが感じ取るフィールにも大きく作用するものなのです。
つまりフィールを養成するには、ライダーの意識から始まると云うことで、例えばレインを引くにしても意識的にそれをするなら、どれぐらい引いたとき馬の反応が始まったのかを感じ取れると云うことになります。
ライダーの行動の一つ一つを全部意識下におくと云うことは、最初からできることはありません。
そこで例えばレインを引くとか脚を入れたりしようとしたときに、その行動をその目的と共に意識して行うことで、無意識に何となく行ってしまうのを慎むことが重要なのです。ライダー自身が自分の行動を意識下におく割合が高まれば高まるほど、馬の反応を感じ取れるフィールが高まったと云うことになるのです。
話を元に戻せば、インストラクティングの根幹は、テクニックとジャッジメントを一体的にということであり、そしてこれはライダーが馬のフィジカル、運動、メンタルのメカニズムを知るということから始まり、馬の反応をライダーが感覚的に感じ取るフィールを養成して、このフィール(センサー)で捉えた馬の反応を即座に解釈して、次の指示を判断するということにつながります。
この一連のスキルをライダーが体得できるようにすることがインストラクティングの目的であり、一般のスポーツと乗馬の違いがここにあります。ただ本当は一般のスポーツでも乗馬のように、インストラクティングを考えなければならないのではないでしょうか。
インストラクティングとしてテーマとすべくコンテンツが、上記のコンセプトから推論すれば自ずと決まってきます。
例えば、簡単に言ってしまえば馬をガイドすることや、ディパーチャー、リードチェンジ、歩法の変換等の馬の運動を主軸として、ライダーがどうあるべきなのかというように、馬にどんな運動を求めるかをテーマにおいてインストラクティングを展開すると云うことなのです。つまりライダーの脚の使い方や拳の位置、姿勢といったようなテーマで、インストラクティングを行ってはならないということです。
当然インストラクターがライダーに指摘する内容は、ライダーがそのときしなければならないことになるわけですが必ず「何故必要なのか」や「馬がどのような状態の時か」という理由を付帯的に説明していく必要があります。
ライダーがジャッジメントする能力を高めていくことは、絶えず求める馬の反応に対して自分自身が今何をすべきなのかを判断できるようになるための必須要件なのです。
ライダーが馬に乗るために、何が必要なのでしょう。
それは、バランスとフィールが全てのスキルの根底として養成されなければないということなのです。
ライダーにとって、バランスもフィールもこれで良いということのない永遠のテーマですが、これらが養成されなければあらゆるテクニックを有効に駆使することに災いをもたらします。
バランスを養成するためには、大脳を極力使わないようにすることだし、フィールを養成するためには、絶えず意識して行動することだから大脳を絶えず使うと云うことで、互いに矛盾する要因を持っていると云うことになります。
ライダーの初期段階において最優先して養成しなければならないことは、バランスです。最低のバランスが養成されていなければ、ライダーは不安や恐怖から解放されず、馬に乗ることが苦痛でたまらなくなり、しまいには馬に乗ることを止めてしまうでしょう。
バランスを養成する段階においては、大脳を使うことから解放するようにインストラクティングすることが極めて重要なのです。
つまりこの段階で姿勢の矯正や脚を使うこと、もっと云ってしまえば馬をコントロールすることから解放し、馬に乗ることをリラックスしてできる環境を整えて、ただ馬に乗ることが何より大切なことなのです。
この段階のライダーは、これだけで充分楽しいはずなのです。
そして最低のバランスが養成されたときから、インストラクティングの本質である馬の運動を主軸に、ライダーのジャッジメント能力を高めると云うことを根幹においた指導を始めなくてはならないのです。
インストラクティングは、ライダーに対して第3者であるインストラクターが指導するということしかイメージしない人が大半だと思いますが、そうではなくて、インストラクティングの本質的考え方に基づけば、自分自身がライダーである自分を客体としてインストラクティングすると云うことが可能になります。
本来はライダーにとって、上達すればするほど自分自身が最良のインストラクターになれるわけで、そうなれなければインストラクティングのベクトルが間違っているといわざるを得ないのです。
人が人生において生きて行くうえで、自分自身が冷静なときも感情が高ぶっているときも、絶えず判断が求められます。人生は、判断の連続だと言っても良いかもしれません。自分自身が最良のインストラクターであるということは、自分自身をどんな局面であろうとも冷静に見ることができて、それによって最良の判断や選択ができると云うことに他なりません。
ライダーが成長すると云うことは、馬の微細な反応を読み取ることができ、かつ正確な判断が絶えずできると云うことではないでしょうか。馬の反応がライダーの心の目で見えると云うことは、先ずライダーが自分自身を見えていなくては叶いません。
ライダーが第3者であるインストラクターの力を借りると云うことは、上達するために有効な手段です。しかしそこに潜むリスクは、ライダー自身のジャッジメント能力を削いでしまうということです。そのリスクを回避するためには、インストラクティングが馬の運動を主軸としたテーマに乗っ取ったものでなくてはなりません。そしてそのベクトルは、ライダー自身が自分にとって最良のインストラクターになるということなのです。

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