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今朝は、薄氷が貼りまして、晴れました。
馬場は、ベストコンディションです。
「ライダーと馬とのコミュニケーション」
今日の日本では、馬に乗る人なら誰でも、馬とのコミュニケーションが必要だと思っているし、これを否定する人はいないのではないだろうか。
私が、1998年に「乗馬ライフ」という雑誌に連載するまでは、乗馬界でこれをいう人はとても少なかったのである。いつの間にかライダーにとって、このことが常識化したことは良いことなのだが、果たして本当にこのことの重要性が日本の乗馬界で理解されたのだろうかという疑問がある。
馬が動くのは、ライダーが脚を使ったり鞭を駆使したりしているからではない。つまり、ライダーの強制力によって、馬が駆動しているわけではなく、馬が動くのは、馬が能動的に自分自身の肢を、グランドと作用反作用の作用を働かせたときであり、ライダーの脚や鞭は、これに直接的に少しも力をかけていないのである。
ライダーが木馬に乗って、脚やレインハンドを使っても、木馬は決して動くことはなく、馬が生きものであるから動くのであり、ライダーと馬とのコミュニケーションによって馬が動いているのである。
ライダーは、馬とコミュニケーションをして馬を動かす以外に方法はなく、止めることも方向を変えることも、つまり、馬の動きをコントロールするのは、ライダーと馬とのコミュニケーションによって成立していることなのである。
ライダーが自虐的に、馬を無理矢理動かしてしまうなどということがあるが、何人たりとも馬を無理矢理動かすことは、不可能なのである。
コミュニケーションとは、精神作用である。つまり、メンタルの作業なのである。
コミュニケーションは、コンピュータは2進法で計算する機械であり、2進法とは、0と1の世界で、10進法で2となるとき、2進法では10になってしまうのである。つまり、0と1しかない世界なのである。
コミュニケーションもまた2進法なのである。0と1の世界なのである。
0は緩和で、1は緊張なのである。
緩和の後の緊張に何らかの意味が生まれ、緊張の後の緩和に何らかの意味が生まれるのである。緩和と緊張は、相対的に存在しているのであり、それぞれ単体では何の意味合いを持たないのである。
ライダーが馬に何かを要求するとき、プレッシャーを与えることで馬に緊張が生まれ、馬がライダーの要求に反応したとき、与えていたプレッシャーをリリースすることで馬に緩和が生まれ、このやり取りがコミュニケーションなのである。
従って、 ライダーがプレッシャーを馬に与えたとしても、馬に緊張が生まれなかったり、ライダーがプレッシャーをリリーしても、馬に緩和が生まれなかったりすれば、コミュニケーションは成立しないのである。
ライダーが馬とコミュニケーションしたい場合、馬にプレッシャーを与えたときに、馬が緊張したかどうかを知るべきであり、与えていたプレッシャーをリリースしたとき、馬が緩和したかどうかを知る必要があるのである。
しかし、ライダーは、馬の精神状態を目で見るように知ることは不可能なので、馬のフィジカルを通して知る以外にないのである。つまり、ライダーのプレッシャーに対して、馬が反応することを以て緊張が生じたことと判断し、リリースしたとき反応としての動きをやめたとき、緩和したと判断するのである。
この判断が正しかったかどうは、これを数回繰り返すことで、理解できるのである。プレッシャーを与えたときに、馬が緊張しないで反応していれば、反応はどんどん鈍いものとなってしまうのである。またプレッシャーをリリースしたとき、馬が緩和されないのであれば、馬はストレスを溜めて、やがて抵抗や反抗を見せるようになるのである。
例えば、馬に駈歩を要求した場合、ライダーは、馬が駈歩をしたかどうかについて関心を持つ、しかし、与えたプレッシャーによって、馬が緊張したかどうかについては関心を持たない人が多いのである。また、馬がライダーの要求に応えたとき、与えていたプレッシャーをライダーはリリースするが、馬が緊張を解いて緩和したかについて関心がない人が多いのである。
つまり、多くのライダーは、今日ライダーと馬とのコミュニケーションが必要だと口ではいっているが、その中身は空っぽなのである。
ライダーが馬に駈歩を要求するために、脚でプレッシャーを与えるので、馬に緊張が生まれます。その緊張によって馬は肢を動かし駈歩する。このときライダーは、脚で馬体を押して馬の肢の運歩を促しています。ライダーは、このとき駈歩の要求を馬にしていますが、このことはライダーの持つ概念であって、馬の持つ概念は、肢を動かすということなのである。
従って、ライダーは、駈歩の要求をしているのを、マクロとして持っていても、ミクロとして馬体を脚で押し、馬の肢の動きを求めているという意識を持つ必要がある。
馬の肢の動きを求めているという意識をライダーが持てば、当然馬の肢が動いたかどうかを認識し、馬の肢が動く延長線上に駈歩があるので、駈歩になるまで脚でプレッシャーを続け、駈歩になったとき与えていたプレッシャーをリリースするのである。
余談だが、プレッシャーをリリースすれば、馬が折角出た駈歩をやめてしまうのではないかと疑問を持つだろう。その通りで、脚のプレッシャーを止めれば、馬は止まらなければならないのである。
しかし、駈歩をやめたら直ちに脚を入れて駈歩を促せば、馬は緊張を続け駈歩を継続し、停止の命令によってストップし、そのストップの後にプレッシャーをリリースすれば、緊張を解いて緩和するのである。
ライダーの意識が、脚と馬体との接触点に向いていれば、馬の肢の動きを感覚的に感じ取ることができて、駈歩になるまで脚のプレッシャーを続ければ、ライダーは、馬の肢の動きを駈歩なるまで認識できることになるのである。
ライダーが、ミクロのことに意識を向ければ、馬の動きを逐一感じ取ることができ、適切にプレッシャーもリリースもできることとなるのである。つまり、ライダーと馬とのコミュニケーションが成立しているということなのである。
しかし、ライダーが馬の駈歩を要求して脚を使ったとき、マクロである駈歩の要求にだけ意識が奪われれば、脚と馬体の接触点に意識が向かうことはないので、馬の肢の動きを感じ取ることができないのである。ライダーが馬の肢の動きを認識できなければ、プレッシャーもリリースも適切にできない。つまり、ライダーと馬とのコミュニケーションが、成立していないこととなるのである。
ライダーは、駈歩発進や停止や左右への運動方向の転換などを、馬に要求する場合、このことをマクロとして心にとどめ、ミクロであるプレッシャーを与える馬体との接触点に意識を傾けるようにし、その接触点において馬の動きを感覚的に把握して、更なるプレッシャーかリリースかを適正に判断して、馬とのコミュニケーションを成立するように努めなくてはならないのである。
ライダーの意識は、感覚情報を認識するかしないかを決定づけるのである。従って、ライダーは、マクロを念頭におきながら、ミクロに意識を傾けることをしなくてはならないのである。ミクロに意識を傾けることで、ライダーは馬に対して何らかの要求をするために、与えているプレッシャーの馬体との接触点で、馬の反応を具に把握することができ、このことで馬とのコミュニケーションを成立せしめることができるのである。

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