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   VOL.2 「極める」

 日本では、「頂点を極める」とか、「名人の域に達する」とか、一般的に、技能の熟練度の最高点に達することをこのように表現する。
 技能の最高がどんなものなのであるかはさておき、技能を極めることを、一般的には「山の頂上に登る」というように例えたり、そのようなイメージを持ったりするものだ。
 技能を高めることは、より難しいとされる技術を体得することで、確かにより険しい山の頂上に向かって登り続けることの例えは、一見正しい。

 しかし、各界の名人といわれる人の言葉を集めてみると、基本が大切だとか、生涯基礎の勉強だとか、また、名人が弟子達に向かって指摘することは、決まって基本がなってないなどという言葉が多い。なぜなのだろうか。

 最近、大工さんと話をする機会があって、極めるということは、山に登ることなのか、山の裾野をより知るということなのかという質問をしてみた。

 つまり、難しい技術に絶えずチャレンジしていくことなのか、基礎技術をより鍛錬することなのかという意味の質問をした。
 すると、この大工さんは、考える間をおかず、いとも簡単に、基礎をより鍛錬することだと言い切る。

 さて、つたないながらも乗用馬の生産育成調教を生業としてきた自分のことを振り返って考えてみると、少しでも上手い馬乗りになりたいと思えば思うほど、馬についてより知らなければならない、馬に素晴らしいパフォーマンスを、教えようとすればするほど、単純動作を、より確実によりスムースにできるようにしなければならなかったりということの連続だった。

 つまり、自分にとって難しいことにチャレンジした実感がなくて、基本をより掘り下げることでしかなかったように思えて仕方がない。

 また、技能の鍛錬という一面だけでなく、馬の調教やライダーに対するインストラクティングにおける考え方、つまり思考の面でも、より難しい技術のなんたるかを考えることより、馬の運動やライダーの心理をより分解して、一見複雑なものでもその構成要因を分解して、これ以上分解できないところまで分解して、一つ一つの単純な構成要素を理解するように思考する。

 乗馬のレッスンのときに良くあるケースだが、馬のリード(手前)が感覚的につかめていないライダーが、リードチェンジ(踏歩変換)について質問してきたり、バランス良く座れないライダーが、スピードコントロールについて言及してくる。
 こんなことをいつも疑問に感じながらも、その人の意欲が損なわれないように、一生懸命、お答えするようにしてきたが、内心、絶対この人には理解できないだろうなというむなしさが残ったりしたものだ。

 それは、日本人の感覚では、技能を高めることを、山を登ることのようにイメージしていることが原因で、問題を掘り下げるのではなくて、どうしても分からないことを考えたり、できない技術に挑戦することへといってしまうのではないだろうかと思う。

 技術をより向上せしめるということは、今立っているところからより高いところへと登っていくことではなくて、立っているところの回りを掘り下げていって、掘り下げれば掘り下げるほど、結果的に、立っているところが、掘り下げられた回りの地盤から見れば高いところに位置しているということなのではないだろうか。

 自分を上達させるには、今直面していることに対して、問題意識を持つということからはじめることが何よりも重要なことで、かつ、spin-cross legその問題をより単純な要素の一つ一つに分解して、その単純な要素をクリアーすることが結果的に、難しいと思っていることをよりイージーに自分のものにしてしまうことになる。

 例えば、レイニングホースのスピンターンを調教する場合、決して最初から内方後肢を軸にしての回転運動を求めるのではなくて、ハーフパスやサイドパスなどの横の運動を充分に訓練して、横の動きが難なくこなせるようになってしまえば、スピンをすることはなんの抵抗なく、馬はこなしてくれるものだ。

 結局、「極める」は、「登る」のではなくて、「掘り下げる」なのだ。

                           1999年7月  土岐田勘次郎

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