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今朝は、雲一つなく晴れて、氷は張っていません。
馬場は、奥に水溜まりがありますが、外はベストコンディションになりました。
今月は、乗馬のための思考法についてお話ししてみたいと思います。
その思考法とは、「縦型思考」と「間接成功型思考」と勝手に,私が名付けている2つの方法です。
日本の教育法は、知識記憶を主体とした方法が第2次大戦後に実施されてきたことと、アメリカの占領政策の根本として、戦争に突入していった日本人気質としてのアイデンティティの喪失があって、その政策下で我々が受けた教育は、人間形成の上で最も重要な感性に関わる美術/音楽教育は全て西洋のもので、何一つ日本国土の土から生まれたものに触れることがなかった。
そうした教育環境に何の疑問も待たなかった政府/教育者/大衆の無策によって、いつの間にか楽天的な日本人の本来の性質が自虐的な性格に変質してしまったのである。
つまりは、真理探究や哲学や美学教育を怠ってきたために、子供達は勉学が進捗するにつれて自分自身に対して自信を深めたり、誇りを持ったりしていくというごく自然な成長を遂げることができなくなってしまっていたのである。
何故なら真理探究や哲学や人生の美学といった教育は、一見思想教育と似ているので文部省はこれを恐れ、日教組はこれを良いことに亡国の一途を辿ることになってしまったのであった。
馬など動物のトレーナーの養成やライダー全て調教師という理念の定着化等を実現するのに、近代日本人の自虐的気質が大きな障壁となっているという実感を、私は度々痛感している。
乗馬のインストラクティングをしていると、ライダーの上達の障壁となることは決まって、近代日本人が共通に持っている自虐的性格だ。
どんなに上手くいってても、本当に自信を持って上手くいったと思っていない。どこか間違っていなかったかなどと不安を拭いきれない。例え優勝してもどこか欠点を見つけては、しきりに反省したがる。そして少しでも失敗しようものなら、落ち込んでしまう。
失敗したときほど克服するために、モチベーションが必要なのに萎えてしまう。
端から見ると、まるで落ち込んでいることを趣味にしているかのようだ。
そして、権力や権威や体制やマスコミやブランドに対して、客観的評価をするという発想すら持たない人が如何に多いかである。一回信じたものに対しては盲信し、誰かが根拠のない中傷を始めると、これに対しても直ぐに迎合して、客観的な検証をしようとしない。
何処をとっても、自分自身が何処にもないのである。
人間は、何を見ても感じても、嬉しいかな 悲しいかな 自分自身が基準になっているものなのである。何を見ても何かに感動しても何かを学んでも理解しても全ては、自分自身を向上させて誇りを高めていくことに繋がらなくてはならない。
スポーツでも学問でも上達するということは、自分自身の美学の研鑽であり、上達するにつれて自信が深まってこなければ、何も意味がないし、その結果その自分に誇りを持てるようになってこそ、人間が何かを為すことに意味があるのである。
乗馬の上手下手で人間の尊厳が決まる訳でなく、そのときそのときに何を感じてどのような発想をして、目標を達成しようとしているかが、その人の誇りでありその人の美学そのものだ。それが何かを盲信してのことだったり、ウエスタンをやっているからといってアメリカを盲信してたりすることは、一人の人間としてとても恥ずかしいことで、本当に価値あるものを盲信してては、本当にその価値を知ることは永久にできない。
乗馬は、馬がプレーヤーでライダーはディレクターだと言っても過言ではない。
ライダーの発想(思いつき)や思考は、馬の学習の循環や精神状態の安定に大きく関わっている。
ライダーが自信を持ってプレッシャーとリリースとで、馬とのコミュニケーションをしなければ、馬はどうなることでしょう。
ライダーの判断は、確信を持ってすることが何よりも大切で、例えその確信が結果的に間違っていたとしても、ライダーが発信するキューイングは、自信を持って行わなければならないし、ライダーの判断が正しかったとしても自信なさげにキューイングしたために、馬が正しい反応を示さないこともあり得るわけだ。
ライダーが結果として間違った判断をした場合でも、何となくとか自信なさげでなく、確信を持ってしたとき、馬の反応が正しくなかった場合初めてその判断の誤りを確信すればいいし、判断にいつも確信を持つことによって、誤った判断に対してもそれは誤っているという確信を持てるようになるのである。
それでは、乗馬のための思考法についての話を始めたいと思います。
先ず「間接正攻型思考法」から始めることにします。
人は、誰でも上手くなりたいし、また他の誰よりも上手いという優越感を感じたいと思っている。
只、人によってその意識が強いか弱いかの差があるということだ。更にまた、競争するプレッシャーに、よりモチベーションが増幅する人と、めっきりそのプレッシャーに弱い人がいる。
そこでそのようなプレッシャーと精神的葛藤をすることなく目的を達成するために、考えたのが「間接成功型思考法」である。
またこの考え方は、このプレッシャーに強い人にとっても、目的達成のために直情的になりがちな人に、大局的ものの見方ができるようになって、ゆとりある精神状態で目的達成を試みることが可能になる。
例えば乗馬する目的として、上手くなりたいとか競技で優勝したいとか馬のトレーニングができるようになりたいとかがある。
その目的を達成するために、ダイレクトにその目標に向かって努力するのでなく、もう一つ別の目標を設定して、その新たに設定した目標を達成することによって、本来の目標を達成するという考え方なのである。
この思考法は、目標達成するためになりがちな精神的疲労を軽減できること、目標設定そのものを客観的にゆとりのある精神で絶えずチェックしながら、ゴールそのものよりその過程に、充実感を味わいながら経験を積み重ねることができるのである。
単純な例を挙げてみると、例えば「乗馬が上手くなりたい。」という目標があるとすると、もう一つ別の目標を設定する。それはルーズレインでスムースなガイドができるような馬に、トレーニングするという目標を持つ。
最初の目標は少しの間横に置いて、新たに設けた目標を如何に達成するかをプログラムして実際に行う。するとルーズレインでスムースにガイドできる馬に調教できたとき、同時にライダーのスキルも可成り上達しているに違いない。
このときに新たに設けた目標の達成のために、トレーニングプログラムを作ることが重要で、そのプログラムを途中何回も組み直さなければなくなることも出てくることでしょうし、少なくてもそのプログラムについて、あれこれと思考を巡らさなければならない状況が、ライダーを結果として育てるし、それにプログラムに基づいて目標を達成することに意味があるのであって、偶然にできたとしてもその人にとって大きな意味を成さない。
新たな目標設定の要件は、最初の本来の目標達成が必然的に叶うような、目標設定が大切なのである。
自分の乗馬を楽しいものにしたいというのであれば、自分自身の上達を日々実感できるように、目標設定を大きなもの(1ヶ月/3ヶ月/1年といった長期展望)とその要因を分解した素因をより良くするという小さな目標(1回の騎乗の中で持つ短期展望)の2つを持って、乗馬をすることが間接成功型思考法で考え出した方法です。
簡単に言うならば、ライダー自身に対して目標を達成したいと思うなら、馬に対しての目標を持つことだし、馬に対して目標があるなら、ライダー自身に対しての目標を設定することが良いかもしれないということだ。
また論点を変えるとすると、馬が馬運車に乗らない場合、馬運車に乗せようとするのでなく、人について来るという馬にするというように考えることも間接正攻法である。
馬が人について来ることが容易になれば、それが馬場運車であってもついて来ることになって問題が解決する。
初心者のライダーを指導するときにもこの思考法が有効で、どんなスポーツでもいえることだが、運動反射神経による運動と大脳皮質による意識運動の2つを如何に融合するかということが上達に大きく関わってくる。
つまり意識的運動が反射神経運動に置き換えることができて初めて上達したといえるし、反射神経運動を如何に意識下においた運動と同等にできるかが永遠のテーマだ。
意識的運動を反射神経的運動の水準まで高めるのは、可成りの努力と正確なプログラムが必要なのである。間違った方法でどんなに努力してもできるものではない。
廻りくどくなってしまったが、初心者にとっては馬の背中でバランスをとるのが精一杯だ。
日本で一般的行われている初心者へのレッスンは、騎乗姿勢をとることだ。
私は、このことはナンセンスだと考えているが、そのことは別に置いておいて、もしライダーの騎乗姿勢を養成したいと考えるなら、バランスを養成することだ。
バランスを養成することによって、結果的に姿勢を造ると言うことだ。
何故なら初心者は、馬の背中で落ちないようにバランスをとるのが精一杯で、そこから来る不安に一生懸命に耐えている状態だ。
それにまた、バランスは、脊椎中枢神経つまり反射神経が司っている代物で、大脳皮質では如何ともしがたいものなのだ。それをインストラクターが騎乗姿勢についてあれこれと注文をつければ、初心者は一生懸命大脳による意識的運動として、インストラクターの要望に応えようとする。しかし初心者は、要望に応えようとすればするほど大脳が反射神経機能を阻害して、バランスを崩し一向にインストラクターの要求に応えられないという循環を引き起こすのである。
先ず初心者が楽に乗馬を楽しむには、アンバランスから来る不安感からの解放が第一優先課題なのだ。
そこで初心者のバランスを養成するには、この間接成功型思考が有効になる。
ライダーの意識を馬に乗っているということから逸らすと言うことだ。
しかし意識を逸らすと言っても、大脳をより自分自身の体を使うために使うようにしてはならない。
そのライダーにとって、一番リラックスできることを連想させることが一番良い。
具体的には、草原を颯爽と馬に乗って走ることを夢見て乗馬を始めたのであれば、そのイメージを連想させたりするのが良いでしょう。
ライダーの意識を今やらなければならないこと、バランスをとることや馬をコントロールすることから別のことへ向ける。その結果リラックスしてバランスがとれて、不安から解放されて、今やらなければならないことができてしまうというわけだ。
私のアメリカでの経験だが、初心者を連れて行ったときに一緒に牛を追いかけるという状況になったとき、それまでアンバランスでやっと乗ってた人が、牛を追いかけ始めたらいつの間にか良いバランスで乗り始めたのだった。それは、ライダーの意識が追いかけなければならない牛の方に気をとられて、それまでバランスをとろうと必死になっていたことから必然的に解放されてしまったからなのだ。
馬の調教でも、メンタルとフィジカルの両面をトレーニングするわけだが、そのどちらに力点を置くかついても、またパフォーマンスについても、例えばロールバックを良くすることでストップを良くするとか、直接的に目的達成をと考えるのでなく、間接的に達成しようと考えることが他の運動との関連性や、メンタルとフィジカルとの関連性を密接にしながら馬をトレーニングすることができる。
生物の精神が緊張と緩和をするのは、根源的にそのものが持つ生命に対してマイナス要因の場合は、緊張が起こりプラス要因には緩和が起こるというのが原則だ。
少し話が飛躍するかもしれないが、つまり生命の危機には緊張が起こりそれを避けようとし、生命の維持に繋がる要因に対しては緩和が起きるということになる。
従って精神作用に緊張と緩和は、生命維持機能の発露というように説明できる。
しかしこれだけだと自己犠牲を説明できない。
自然界に厳然と自己犠牲的現象は、存在する。
それは、繁殖行為において多く見られる。このことで自己犠牲を説明できることは、個の生命維持に対し、種の生命維持が優先する法則を持つということである。
このことと間接成功型思考とどのように関連するかどうか確証を持っているわけでないが、間接成功型思考とは、真の目標を達成するためにもう一つ目標設定して、新たに設定した目標を達成することによって、結果として真の目標を達成するということで、これは自分に向かって第三者に、親切にしろというアドバイスはとてもしにくいが、自分以外の人に親切にしろというアドバイスは容易にできる。
第三者のためなら言いづらいことでも、ある種勇気を持って敢然と立ち向かえるし、冷静に対処できるということも、個より種の生命維持が優先することとあながち関係ないとは言い切れないのではないでしょうか。
さてそれでは、次の「縦型思考」についてお話ししてみたいと思います。
世に良くいわれる立体思考といわずに縦型というのは、訳があって一つの疑問や問題点に差しかかったとき、その一つ手前の基本に戻って考えそれでも解決しないときはもう一つ手前の基本に、というように一つ一つ段階的に基本方向へ向かって思考を巡らせていくという方法を縦型思考と名付けたものである。段階的に基本方向へ思考をというのは、つまりその疑問や問題点の解決策として考えた思考の前提条件について、思考を巡らせると言うことなのだ。
立体的思考とは、寧ろ間接成功型思考の方に近い考え方なのでしょう。
例えば、馬がリラックスしなくて駈歩でも速くなってしまう場合、一生懸命ルーズレインで極力ハミを引かずに乗っているのだがと、しきりにハミを当てないで乗っているのに一向に馬がゆっくりと走らないことを嘆いている。そしてこの後は、今度はハミを当ててゆっくり走るようになるまで待つという乗り方になる。そしてこれが功を奏して馬がゆっくりと走るようになって、調教が進んで成功してしまう。
そしてまた同じように速くなってしまう馬に出会ったとき、この成功例があるからハミを引いて馬がゆっくりとなるのを待つという調教法になる。しかし今度は一向にゆっくりとならない。このとき多くの人は、この馬は、駄目だという見切りをつけたくなってしまいがちだ。
このような馬をゆっくりとリラックスして走るようにする方法は、決して一つではない。
多分その調教法は、馬の頭数ほどの調教方法があることでしょう。
このときにライダーが思考しなければならないことは、その調教法を考える前に、馬がリラックスしないのが速く走ってしまう原因だとすれば、馬がリラックスするためにその調教方法を考える前に、その前提条件である馬のリラックスとは何なのかということ考えなければならない。
この前提条件を考えるというのが縦型思考と私は名付けている。
馬が緊張するということは、外的刺激要因がどのように馬に受け取られるかによって、緊張かリラックスにつながるので、馬にとってプラス要因と理解できる以外の要因、つまりマイナス要因とプラス要因と理解できない要因であった場合である。
馬にとって外的要因とは、ライダーから受ける刺激のみが外的要因ではなくて、風や自動車や景色など多くの要因が考えられる。
ハミを当てて乗っていたらゆっくりと走るようになったとすると、ハミの刺激に気をとられるようになって、他の外的要因が気にならなくなったと考えることができる。
ハミを当てて乗っていても一向にゆっくりとならない馬は、それでは外的要因から解放されないか、また精神状態に関係なく速く走ってしまうのかもしれません。
ここでは、あまり馬がゆっくりと走る調教法を述べるのは他の機会に譲るとして、馬の調教プログラムを作るためや、そのプログラムの実行手順を決めるために、前提条件について思考を巡らせる縦型思考法が必要だということなのです。
脚は何のために使うのかとか、ハミは馬をコントロールするためにどんな働きをするのか、何故馬の頭を下げようとするのか、何故後肢の踏み込みが必要なのか。
スピンターンとは、スライディングストップとは、リードチェンジとは、ロールバックとは、ウエスタンプレジャーとは、トレールとは、バレルレースとは、ポールベンディングとは、
ここでいう「とは」という謎かけは、単にどういうものかを思考しろという意味でなく、そのときの馬の重心バランスや肢の動きや頭との連携などがどうなっているのか、またメンタル面では、緊張とリラックスとは、従順と反抗とは、コンセントレーションや理解とは、一体どんなメカニズムを持っているのかなどを掘り下げて考える必要だ。
乗馬における様々なファクターを掘り下げて、それなりの結論に基づいて、乗馬のプログラムやその実施手順を作り上げて意識的に馬に乗ることが、失敗にせよ成功にせよ何らかの豊かな経験値を育み、必ずやより良い馬と人間の関係を創造するベクトルを我々にもたらすに違いない。
この縦型思考で考えるという訓練をすることによって、馬の運動のどこから切り口として思考を始めるかなど気にすることはない。サークル運動でもスピンターンでもスライディングストップでもそれからリードチェンジでも、その運動の前提となるファクターについて思考を巡らしながらより掘り下げていけば、必ず一つの心理にそれらの運動のどれから思考を始めても突き当たるに違いない。
このことによって、馬を乗る上で馬の運動の何から調教していくのが良いのか、馬の何を作っておくことがそれぞれの応用動作に繋がっていくのかが解り、馬の運動のそれぞれの共通点と相違点がはっきり理解して、馬と向かい合うことができるのである。そして馬の調教や騎乗のプログラムの手順を明確にでき推し進めることを可能にする。
これまで述べてきた「間接成功型思考法」と「縦型思考法」は、ここまでお読み頂いた方々はもう既にお解りだと思いますが、乗馬に限ったことではありません。
我々は知識記憶中心の教育を長年受けてきました。それは平面思考に偏って、物事を掘り下げるように大脳を使ってこなかったともいえるのです。ですからこの思考法を身につけるには、相当意識して自分をそのように仕向けないと、なかなか身に付くものではありません。
馬のトレーニング法や騎乗法について、多くの人の考え方に触れることは、これらの思考法ができる人にとってのみ有効に働き、できない人にとっては、只混乱を招くだけにしか過ぎません。また自ら多くの経験を積み重ねることでも同様で、体験する度にこれらの思考を及ばせて、その都度検証していかなければ、貴重な経験も無駄になるだけでなく弊害になってしまうのです。

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