Arena Condition(乗馬の駈歩相談室)

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AM 9:05 Temperature 2.5℃  Humidity 64%  晴れDecember 28,’25(Sunday)

 

今朝は、すっきりと晴れて風もありません。そして、睡蓮の鉢とバケツの水は凍結しました。

馬場は、水溜まりを残して、外はベストになりました。

 

 

飛躍と挫折回避の自己肯定

 

 

あらゆるスポーツでいえることだが、最初から上手くいかない人が大半だと思う。

最初から上手くいかないというのも問題なのだが(最初から上手くいく工夫をすれば最初から上手くいく。)、上手くいかないときに、多くの人は自己否定をしてしまうのである。

指導者もまた、自己否定の手助けをしているのが現状である。所謂「駄目出し」ってやつなのである。

これらの自己否定は、上達や飛躍には、全く意味がないのである。

 

本人の上達に役立たないばかりではなく、上達を遅らせたり、持っている才能まで奪ったりしてしまうのである。そして、人間としての成長を妨げているのである。

 

日本文化として、分岐点に差し掛かったとき、険しい道を選びなさいとか、試練や忍耐が人を成長させるとか、数々の失敗が今日の成功を作っていて、成功の源となったという話だが、これは、全くの間違いなのである。

 

この考え方は、挑戦することは苦しいもので、忍耐が必要で、我慢や努力が伴うのは当然で、楽しく上達したり、努力や忍耐をしたりしないで成功するなどということはあり得ないという考え方なのである。

 

本当は、成功のために、努力や忍耐など必要なくて、楽しく満足しながら上達したり成功したりできるものなのである。

何故なら、人は何かに挑戦するとき、簡単で易しいことから始めるもので、それは、成功するのが容易だかからなのを物語っているのである。

「駄目出し」の文化は、人を成長させないばかりか、才能までも奪っているのである。

 

自己肯定が必然なのである。

 

何かが上手くいかなくても、多少なりにもできたことやほんのちょっと気づいたことなど、探せば誰にでもあるはずで、少しできたことや気づいたことを以て、自己肯定をするべきなのである。

そして、何故できたのか、何故気づいたのかを探すべきなのである。

それは、そのできたことや気づいたことをもっと伸ばせば、必ず上達するし成長できるし、その源になった才能を発見できるのである。

 

できると思って、挑戦するのと、できないかも知れないと思って挑戦するのとでは、成功率が全く違ってくるというのは、誰でも知っていることなのに、普段自己否定の連続で生活している人が多過ぎるのである。それでは、負の循環が生じて、才能や持っているスキルを発揮できないのである。

 

従って、何が何でも自己肯定できるところを捜して、自己肯定をしなければならないのである。

自己肯定は、好循環を生み出し、必ず成功するし、才能やスキルを発揮できるのであり、自己肯定には、成功を約束させるメカニズムが潜んでいるのである。

自己肯定できるところがどうしても見つからない場合は、根拠のない自己肯定をしましょう。そうしている内に自己肯定できるところが見つかるはずなのである。

 

自己肯定こそが、明日や将来を輝かしいものにする必須要件なのである。

 

多くの天才アスリートが、一度の失敗や敗戦によって、ボロボロとなって引退していくのを、これまで我々は、幾度となく見てきているのである。

 

一度失敗すると、失敗しないための練習を死に物狂いで行い、そしてまた失敗や敗戦を繰り返してしまうのである。

何故それまで、自分が天才だとか言われたのか、そのためにどんな良いところがあったのかを考えることなく、自己否定ばかりの練習を繰り返した結果、もっともっと失敗を繰り返して、引退するはめになっているのである。

 

もし彼らや彼女らが、自分の良いところや才能を捜し、自己肯定して練習していれば、輝かしい時を過ごすことができて、その結果、良き指導者になっていたものを、自己否定によって、ボロボロになって引退しているので、天才後輩にも、同じこと繰り返してしまうのである。

 

自己否定に未来はありません。

自己肯定こそが、人には必要なのである。

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