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今朝は、曇りといっても薄曇りで、気温が高めです。
馬場は、水溜まりが小さくなってきており、その外はベストです。
乗用馬産業と市場の競争原理について、お話ししてみたいと思います。
日本は、誰もが知っている通り資本主義経済で共産主義や社会主義ではありません。がしかし、部分的には社会主義と言っても良い部分もあります。
特にスポーツの社会や農産物に関わる政府主導型の社会がそうであります。
資本主義経済とは、市場は「より価値ある物をより安く手に入れたい。」というベクトルを持ち、供給者は市場の潜在的需要に対して、「より安く提供し、多くの消費を勝ち取り利益を上げる。」というベクトルを持つ。
そして消費者も供給者も自らの意志で、供給や消費の行動をとる。そしてそれらのベクトルを互いが想像して、特に供給側が消費者のベクトルを製品の生産に反映をさせて商品化し、より多くの消費者の獲得を画策することによって、自然に商品生産に消費者の意見が反映されるのです。しかし消費者の意見を一方的に生産者が配慮していくことでなく、生産者にとって利益追求という優先課題を満足することを想像できなければ、生産者の意欲はかき立てられることはないので、結果的に商品には、生産者の利益追求と消費者の「より安く良い物を。」という意向が加味されていくことになるという仕組みが市場原理ということなのです。
市場における自由競争の原理の働かない社会は、発展しない。
国鉄の民営化・郵政民営化・道路公団民営化・簡保の保養施設の破綻 等々枚挙に暇がない。
これらは、単に民営化したという話ではない。民営化する前に市場の競争原理が働かないという結果ゆえに、民営化の必要性が生まれたということなのです。
スポーツの世界に産業という意識が生まれ出したのは、日本ではごく最近のことですが欧米では可成り歴史があって、サッカーがオープン競技として、プロとアマチュアの間の境界線がなくなったのもその現れですが、日本はそれからしばらく経っても変なアマチュアリズムが蔓延って、スポーツに賞金がかかるのを不健全であるかのような倫理意識からなかなか解き放たれることができないでいるのが現状だ。
またそれらの意識から、日本におけるスポーツの世界は、協会などの組織ぐるみでレベルアップを図ろうとする。
例えば乗馬業界で行われている一例は、ウエストファーレンとかセルフランセとかいうジャンプ競技の品種の馬を日本馬事協会が輸入して、個人に貸与してその貸与を受けた個人が生産繁殖をしている。
この日本馬事協会は、乗用馬の血統登録機関であるのでご存じの方は多いと思いますが、一方で競走馬の社会では、日本軽種馬協会という組織があって、やはりサラブレッドの種馬を所有して、零細農家に安く種付けを行っている。この二つの組織の運営資金はおおよそ日本競馬会から拠出されているのである。
これらは日本式社会主義といわれるメカニズムで、決して競争原理は働かない 寧ろこれを阻害していると言っても良いくらいである。またこの事によって零細農家の経営が強化されるということは決してないのである。
競走馬の社会では、こんな軽種馬協会の施しなんてあてにしない事業主は、自らの資金で高品質の種馬や牝馬を獲得して、重賞を制覇し、より高額資金を投下する顧客を獲得しているし、零細農家は低級な牝馬に補助金をあてに軽種馬協会の種を付けて、決して勝ち目のない勝負を延々続けているのである。
また乗用馬の世界も競馬界の資金を頂戴して、自ら投資をすること無しに生産繁殖して、利益も出ない生産を日夜繰り返しているに過ぎないのである。
こんなこと100年繰り返しても日本の乗用馬の国力は、決して高揚することはあり得ないのである。
需要と供給が互いに互いの目的達成のために、それぞれ自らの決断で投資を行い、利益追求を行うことに、何らかの作為的強制力が働いてはならないのであり、もし作為的強制力が働けば、生産者の投資意欲が減退し、且つ作り出す商品に消費者の意向が反映されることがないのである。また消費者側にも、より高品質の物を追い求めるという購買意欲が旺盛になるという現象は決して起きないのである。
軽種馬協会や馬事協会が使う資金、つまり競馬会の資金を乗用馬の社会であれば、競技会の賞金として流用すればどうなるでしょう。
その賞金を獲得するために、消費者は、より品質の良い生産馬を獲得する消費行動をとり、生産者はその消費行動を予測して投資を決断する。これが正しく市場原理であって、賞金として使う資金の100倍以上の市場投資が生まれることになるのであります。
ただ、このような社会が形成されると国家権力などの一部の特権階級の崩壊が発生するでしょう。
市場原理が有効に機能する社会とは、投資や技術革新を成し得た結果勝ち取ることができる利益や栄誉を、社会が共同して作ることから始めて、自然に市場が投資や消費の行動をとるような社会を言うのであります。
政府や協会団体が、社会の末端に作為を以て投資や技術革新に手を貸してならない。特に手を貸すことに資金を使い、自らの決断で投資や技術革新を行った者が手にする栄誉や利益を作る作業を怠れば、社会の一定のベクトル、つまりアイデンティティーを形成することができなくて、その社会全体の競争力が減退し、他の社会に利益を占有されて、競争力のない社会は、いつも貧しい状態に陥ってしまうのです。
このような社会になってしまっているのが日本の乗用馬業界なのであります。
これをなんとしても脱しなければ、日本の乗用馬社会の発展はあり得ないし、他の国の業界にいつも食い物にされるだけのものでしかないのであります。
決して愛国心をここで振りかざすつもりなど毛頭ありませんが、社会が健全に発展していくには、市場原理が機能する社会でなくてはならないのです。

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