Arena Condition(乗馬の駈歩相談室)

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AM 9:10 Temperature 22.0℃ Humidity 73% 曇り April 5,’26(Sunday)

 

 

今朝は、とても気温が高く、日中は25℃越えの予報が出ています。

 

馬場は、VW状態で、全面水浸しですが、徐々に水が引いてくることでしょう。

 

 

乗馬のプログラム

 

乗馬の目的は、馬を良くするためである。

 

馬を良くするとは、従順性を高めること・集中力を高めること・可動性を拡幅すること・柔軟性を高めることであり、引いてはパフォーマンスの精度を高めることである。

 

さて、何人が乗馬をしても、何らかことを馬に学習させしまっているのである。

従って、ライダーがどんな意識で馬に乗ったとしても、何らかのことを馬に学習させてしまっているのである。

 

例えば、馬に駈歩を要求した場合、馬が駈歩をすれば、これを継続し、継続すれば、馬

は、自分の反応を否定されたとは思わないのであり、ライダーの要求のための合図は、駈歩だと思うのである。

つまり、駈歩の合図と駈歩を関連づけて学習するのである。

 

また、ライダーが駈歩を要求しても、馬が駈歩しなかったとき、要求のためのプレッシ

ャーを継続したり増強したりすれば、馬は駈歩しなかったことを否定されたと学習するし、

ライダーが駈歩の要求を諦めれば、馬は駈歩をしなったことを、肯定されたりライダーが

諦めたりすることを学習するのである。

従って、ライダーがどんな意識で馬に乗っても、馬を調教してしまっているのだから、

調教するという意識で馬に乗るべきなのである。

然らば、馬に乗ることが、馬の調教であれば、その調教は、馬をより良い馬にすること

を目的としなればならないということである。

 

ライダーが、馬をより良くしたいと思って乗れば、ライダーが上達し、馬が良くなると

いう意味で一石二鳥となるのである。

しかし、ライダーが自分自身の上達を目的に馬を乗れば、自分を上達させることはでき

るかも知れないが、馬のクォリティが落ちるということになってしまうのである。

 

ライダーが馬に乗ることや関わりを持つことにおいて、馬がライダーと共にあることを

心地よく思うことが望ましく、そのために、ライダーが馬に接しているあらゆる時間を切

り取ったとしても、その瞬間において、馬がリラックスしていなければならないのである。

何故なら、乗馬において、ライダーは馬とコミュニケーションして、馬の動きをコント

ロールしなければならないからで、ライダーと馬とのがコミュニケーションするためには、

馬がリラックスしていることが必須要件だからである。

ライダーの要求を理解するために、馬の頭脳をはじめとするメンタルが正常に機能しな

ければならないので、そのために馬のメンタルが冷静でなければならないのである。

 

また、乗馬の騎乗時間においては、起承転結が必要なのである。

 

何故なら、ライダーは、騎乗時間中絶えず馬とコミュニケーションしており、その時間の経過に伴って、前後の関連性によって馬はいろいろな学習することになるのである。

馬は、少なくても原因と結果というように、複数の事象を関連づけることで学習しており、ミクロにおいては複数の事象を関連づけ、マクロにおいては、系統だった脈絡と共に、大枠としての善悪や行動規範のようなものが構築されなければならないのである。それが起承転結なのである。

 

馬をより良くするための、必要要素の優先順や実践する手順などを組織的に系統化して騎乗することが、起承転結であり、乗馬のプログラムなのである。

 

乗馬は、ライダーと馬とのコミュニケーションによって成立しているもので、そのコミュニケーションは、緊張と緩和なのである。

 

ライダーが馬に対して、何らかの要求のためにプレッシャーを与えて、馬を緊張させ、馬がその要求に応えたとき、このプレッシャーをリリースし、応えなかったときは、プレッシャーを継続や増強させて、馬に要求通りの反応をさせて、プレッシャーをリリースし、緊張を緩和させるのである。

 

このライダーと馬とのコミュニケーションは、ライダーが主導権を握るということが前提なのである。

 

ライダーが抱いているものごとに対する概念と馬が持ちうる概念とが異なり、ライダーの抱いている概念に基づいて、馬に要求しても、馬がその概念を持っていなければ、馬はライダーの要求に応えられないのである。

 

そこで、重要なことは、ライダーが要求することは、馬が持ち得る概念の範囲でなくてはならないということである。

 

馬の持ちうる概念とは、運動の方向性と勢い(気勢)なのである。

 

つまり、ライダーが持っている概念としての3種の歩様を、馬は概念として持っていないのである。

従って、ライダーが馬に駈歩を要求しても、馬は駈歩という概念を持っていないので、

応えようがないということになる。

馬が駈歩するのは、ある気勢の動きを要求されるので、駈歩になるだけのことなのである。

ライダーが馬にいうことを聞かせるためには、馬のメンタリティとフィジカルの可動性の両面を理解しなくてはならないのである。

 

ライダーの多くは、上手く馬をコントロールできないとき、テクニカルなことを改善しようと考えてしまいがちで、結果的に上手くいかないのである。ライダーが先ず考えなくてはならないことは、メンタリティなのである。

つまり、ライダーは、先ず主導権を握ることを優先しなくてはならないのである。主導権を握った上で、テクニカルなことを行使すれば、容易に問題や課題を解決できるのである。

 

また、乗馬には鉄則があって、それは、3種の歩様と方向である、

 

つまり、ライダーは、馬の常歩や速歩や駈歩を厳守することが大切である。

 

ライダーが要求する歩様以外の歩様になってしまったときは、これを許してはならないのである。

また、走行の方向性も然りで、左または右の走行方向を厳守しなくてはならないのである。

左回りは飽くまでも左、右回りは飽くまでも右方向の走行をしなくてはならないのである。

歩様と走行方向が曖昧になると、馬の抵抗や反抗や混乱を招く原因となるのである。

 

ここに、一つの矛盾が生まれるのである。その矛盾とは、馬が持っていない概念である歩様を厳守しろとは、矛盾するのではと思う諸氏もいることだろうが、これは矛盾ではないのである。何故なら、ライダーが常歩を求めているのに馬が駈歩になってしまったり、駈歩を求めているのに常歩になってしまったりしたとき、これを許さずに厳守することは、気勢を厳守しているのであって、概念のない歩様を厳守しているわけではないのである。しかし、ライダーにとって外形的に分かりやすいので、歩様を厳守しなければならないといっているに過ぎないのである。

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