AM 8:45 Temperature 18.8℃ Humidity 62% 曇りJun 4,’26(Thursday)
今朝は、台風一過とならず曇っていて、台風の余波みたいな風が吹いています。
馬場は、奥に大きな水溜まりができてしまいましたが、外は水が引いています
KT Systemによる上達法2
目的の単純化
単純度や複雑度は主観値であって、客観値(絶対値)ではない
フィギュアスケートの4回転ジャンプや100mを9秒台で走ることなど、人類が様々な記録を更新するのは、先駆者が達成したことで、追随する人達がその可能性を信ずることができるようになったからだといわれているそうなのであります。
それまで、前人未踏なことでも先駆者が記録を更新できたことによって、それまで不可能だと思い込んできたことが、少しだけ容易に思えるようになったからではないだろうか。
また他方で、多くのスポーツ関係の訓練では、例えば大きな硬い肉のかたまりを飲み込むために、食道を訓練することに躍起になって、忍耐や努力や勇気が要求される。しかし、本来は硬い大きな肉のかたまりを柔らかく細かくして、飲み込みやすくするために工夫する術を、習得することが重要なのです。
更にまた、右利きの人が長年右手で箸を扱ってきたものが左手で箸をお使おうとするとき、多くの人は左手を訓練しようとしますが、長年右利きの人は、右手で箸を扱うイメージができあがっていて、左手を訓練することに躍起になってもイメージを覆せないものなのです。
そこで、本来は脳の訓練が必要なのです。
左手で箸を扱うイメージを脳の中に構築するために、サンプル映像を見たり考え方を変えたりして、その中で左手の訓練をしなければならないのです。
すると、左手を訓練する人よりも数倍早く左手で箸を使えるようになるのです。
学問や技術や運動は、単純なものが高度化するにつれて複雑化するもので、客観的にはものごとに単純なものと複雑なものが存在すると思うが、我々の脳は、客観的に単純か複雑かを判別していると思い込んでいますが、実際はそうではないのです。
そして、学問や技術や運動などにおいて、客観的に複雑なことが理解できたりフィジカル的にこなせるようになったりすると、我々は複雑なことを理解できたりこなせるようになったりしたと認識するのです。
しかし、この認識が問題なのです。
理解していることやできている現状の認識を見直してみると、これらのことを複雑に感じていないことに気付くはずなのです。
俗っぽくいえば、理解できたりこなせることは、単純や簡単に感じて、理解できなかったりこなせなかったりすることは、全て複雑で難しく感じるものなのです。
つまり、ものごとが客観的に複雑であるかどうかではなく、自分の理解力や技術力などの能力が基準となって、理解できたりこなせたりできていることは単純で容易で、できていないことは複雑で困難だと主観的に認識しているのです。
従って、単純か複雑かの判断は、自分の能力が基準となっているので、できるかそうでないかによって認識が変わるものだということを、我々は知らなくてはならないのです。
絶対値として単純であるか複雑であるかに関係なく、我々の能力で理解できたりこなせたりすることは単純や簡単で、できないことは複雑や困難だと認識するのです。
ものごとを学んだり技術を身につけたりする場合において、我々の脳が単純だと認識するか、はたまた複雑だと認識するかは、とても重要な問題なのです。そして、複雑だと認識していることを、客観的に複雑だと思い込んでしまうことも誤解で重大な問題なのです。
そこで、ものごとを理解したりこなせたりするように挑戦する場合、客観的に単純か複雑かどうかということは、この際どうでも良いことで、単純と認識するか複雑と認識するかを問題視して、ものごとが複雑だと思える場合、そのまま挑戦することは、無謀で「百害あって一利なし」なのです。
従って、ものごとを単純に思えるように、分解したり単純に思える表現に集約したりして、脳が単純で簡単に思えるように工夫する必要があるのです。
目的を単純化できれば、その時点でもはやできたようなもので、そう時間がかからずできるようになるのです。
そして、その単純化した目的ができる精度を上げて、より高度なものを単純化できれば、次の段階のことも容易に克服することができるのです。
このようなシステムを忠実に守れば、単純に認識できるようしてこれを克服し、更に高度なことを単純化する工夫をして、目的を克服することの繰り返しをすることになるのです。
つまり、合理的に自分の能力を引き上げるには、目的を単純に認識できるように工夫することがカギなのです。
そしてその裏返しとして、複雑に見えることは、その複雑なまま挑戦してならないということなのです。何故なら、これほど無謀で無駄なことはないからです。
複雑なことをそのまま挑戦するのではなく、我々の脳が単純に思えるように分解するか、表現を変えて単純に認識できるように加工して挑戦することが重要で、このようなシステムで挑戦すれば、我々はどんな難関でも努力や忍耐や勇気など必要とせずに、成功を収めることができるのです。
ものごとの学究や技術の探究や運動の上達では、ゴール地点を高度で複雑、スタート地点を初歩で単純という両極を結ぶ一つの線をイメージすることができる。
そして、ゴールである複雑の地点へ向かって、スタートである単純の地点から自分自身が進んでいくような概念を持っていますが、ゴールに向かって自分が進んでいくのではなく、ゴールとスタートを結ぶ線上をゴールである複雑の地点が近づいてくるという概念に切り替えるべきなのである。
つまり、上達とは、単純で容易な領域を拡幅することなのです。
更にまた、ものごとの全てを単純化することが能力のアップであり、複雑なことを理解できたりこなせたりすることが能力のアップだという概念を捨てる必要があるのです。
何故、ものごとを単純で簡単だと認識することが必要なのかは、脳が単純だと認識している場合、大脳は目的やイメージなどのマクロを思念するに立ち止まり、運動器官が初動することによって変化した外部の状況を、感覚器官が感知して感覚情報として脳へ送信し、脳が送られてきた感覚情報を認知して、この情報を加味し運動器官に適切な次の運動を指令するのです。
この一連のリレーションシップによって、大脳が思念した目的を達成するのです。
しかし、脳が複雑だと認識している場合、大脳は目的やイメージを思念し、これに基づいて運動器官が初動し、その初動によって変化した外部の状況を感覚器官がこれを感知して、脳へ送信するところまでは上記と同じであるが、脳はこの感覚情報を、ものごとが複雑で難解と認識しているために認知できないのです。
感覚情報を認知できないことは目的達成には致命傷で、脳は感覚情報を加味することができないまま運動器官に次の運動の指令を送ることとなるのです。
つまり、大脳は運動器官をヘルプしようとして、直接運動器官の動きに関与することとなり、それは感覚情報を無視してのことなので、外部の変化に対応しない運動器官の動きとなって、目的は運に恵まれなければ達成することはできないのです。

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