Arena Condition(乗馬の駈歩相談室)

未分類

AM 9:25 Temperature 23.5℃ Humidity 28%  晴れ  May 2,’26(Saturday)

 

今朝は、すっきり晴れて、湿度が低くからっとしています。

 

馬場は、奥に水たまりがあるものの、外はほぼベストになりました。

 

 

日本には、日本ウエスタン乗馬協会(JWRA)という協会が20年を超える年数存在していました。

日本のウエスタン乗馬の歴史は、JWRAの歴史といってもいいほどなのです。

そこで、JWRAの変遷を振り返りたいと思います。

 

SWCは、元々九州におけるJWRAの事業主会員であったエルランチョグランデのクラブ内大会に、九州一円のクラブが参加したのがきっかけとなって、九州で全国大会を開催しようという気運が高まり、2002年に第1回大会が開催されたのです。

九州で全国大会を開催するということは、九州の地にウエスタン乗馬の定着をせしめるというのが大事な目的であることはいうまでもありません。

この第1回の大会開催を実現した有志は、カナディアンキャンプ乗馬クラブ・エルランチョグランデ・グリーンバレー・ブルーグラス・BJランチの5クラブの事業主でありました。

現在では、上記の4クラブの他にカウボーイアップランチ・シービューランチ・サウスヒルステーブル・ふぁみりー牧場の計8クラブが九州の事業主会員であります。

九州のJWRA事業主会員は、長年唯一エルランチョグランデだけでありました。最もエルランチョの初代オーナーは、JWRA創立者の一人でもありました。

私は、1回もお会いすることはできませんでしたが、2代目の寛君と大阪のある会合でご一緒して、その折りお風呂の中で、半ば強制的にエルランチョで講習会をすることを約束して、その翌年にエルランチョのスタッフやサウスヒルの熊本さん、カナキャンの山口さんなどが集まって、勉強会を開いたのです。

その最終日に寛君が温泉につれていってくれて、やはりお風呂の中で山口さんから、カナキャンで講習会をやって欲しいとの要望があって、その年の6月にお邪魔してから3年連続で毎年講習会をさせて頂きました。

そしてしばらくは、エルランチョとカナキャンの2クラブが事業主会員で、確か2000年にJWRAの総会(当事JWRAは、総会を全国各地持ち回りで開催していた。)を福岡で開催したときに、カナキャンの山口さんがグリーンバレーの梅木さんに声をかけたのがきっかけで、グリーンバレー・ブルーグラス・BJランチの3クラブが事業主会員となって、一気に九州のウエスタンの乗馬クラブの風通しが良くなって、翌2001年のERG CUPの大会に、阿蘇の3クラブが参加をして、その流れで前述したように2002年のSWCを開催するに至ったのです。

開催の準備段階で、私が言ったことを今でもはっきりと覚えていることがあります。

それは、「始めることは、簡単だが継続することは決して容易ではない。九州で大会をやるということは、九州の参加者が増えなければ意味がないし、九州のクラブが其れを真剣に考え続けていって欲しいし、懸命に努力してください。」でした。

この事が達成されなければ、全国から多大な経費をかけて集まってくれる参加者に対して、その期待を裏切ってしまうし、失望は九州大会の継続を危うくすることに繋がるということであります。

九州の事業主やノンプロライダー達が今年2007年に第6回大会を迎えるに当たって、もう一度その当事責任者として、九州大会の開催意義と継続するために、何を成すことが重要なのかを真剣に考えなければ、決して自動的に10回20回と大会が継続されるわけではないのであります。

九州大会が発展するためには、九州の事業主やノンプロライダー達が充分な当事責任意識の元に、全国から参加する人達に対して、ホスピタリティーを発揮しなければならないということであります。

 

EWPC Congressは、今年で24回を迎えます。

この大会は、元々クラブ内大会が始まりで、当時会員の中にまともに乗れるライダーもなく、まして「馬にどのように接しなければならないか。」なんていうホースマンシップを理解する人もいなかったので、馬を繋留するところから馬装してマウントするところまでを審査する競技会から始めたのでした。

レイニングの大会をしたくてもその入り口のホースマンシップが、当時の日本のウエスタンの乗馬社会に存在しなかったと言っても過言でなく、私は何よりも日本人がウエスタン乗馬を始める前に、ホースマンシップを正しく理解することが大切だと考えたのでした。

そして一見レイニングを普及するのに遠回りのように見えるかもしれないが、この事が何よりも重要で、17年の歴史で何よりもこれを実証して来たように思います。

何故17年なのに24回大会なのかは、当初は年に2回の開催をしていたからでありまして、当時JWRAの公認大会は、Amaha Cup・Congress 年2回・八ヶ岳ホースショー・JRHA Classic・AJWCと年6回あった大会を多すぎるという意見があって、整理する関係からCongressを現在のように、年1回に改めたのです。

 

私がJWRAをお預かりするようになって、それまで一つも北海道に事業主会員がなかったのですが、北海道でウエスタン馬術の講習会などの地道な活動の結果、徐々に加盟する事業主会員が出てきて、2003年に初めてノーザンホースパークのご協力を得て、開催するに至ったのです。

これも昨日のことように思い出されますがもう5回の開催を迎えるのです。

 

北海道まで五島列島から参加して頂くなど、従来なら考えられなかったことも実現したのです。

北海道大会は、年間5回の大会の中で一番多く人の目に触れる大会でもあります。

どんなことがきっかけとなって、ウエスタン乗馬を始めてくれるかもしれません。そういった意味から重要な大会といえるのがこの大会です。

北海道は、ディーンズステーブルス・ランチサンウエスト・ノーネームランチ・ペパーミントホ-スクラブ・サニーズステーブルス・JB’s ランチ・春香ホ-スランチ・ノーザンホースパークの8クラブが事業主会員であります。

1996年に大阪のロディーズステーブルの根岸さんの紹介で、サニーズステーブルスの佐藤さんの所に伺ったのが確か10月の後半位だったと思います。

 

ウエスタン乗馬の普及は、事業主達のレベルを上げることだ(調教技術や使役馬の質。)と考え、どうしたらレベルアップを事業主自ら考えるようになるだろうと考えた末に、勉強会をする前に、自ら「このままじゃ駄目だから勉強しなければ。」という危機意識を待つようにならなければ、ただ勉強会を開いても押しつけになってしまうだけだ。そして先ず業界のネットワークをしようと思ったのです。

 

横の連絡網ができれば、業界の実情を知り自分のクラブの実態を再確認し、自然に他との競争意識が生まれてくると、この競争意識が向上心に繋がる。そう考えて全国行脚をしようと思いつき、サニーズステーブルスに行ったのが全国行脚の第1歩だったのでした。

 

佐藤さんが快く迎えてくれて、夜中の3時頃まで語り合って、翌日に馬にも乗せて頂き、これからの向上を誓い合って、次なる帯広のD-J ランチの向田氏を紹介して頂き、雪の日勝峠をノーマルタイヤで越えるという無謀の末、夜半に帯広に着いたのです。

 

夜中にも関わらず向田氏は、庭に出て我々の来るのを待っていてくれたのを昨日のことのように覚えています。ありがたいことでした。

 

このときにやったことは、ホルターブレーキングでした。

リーディングやブラッシングや裏堀等、ケアーをするときの馬の態度ができていないのが殆どだったので、馬も人も安全に接することができることがスタートなので、馬を躾ける方法とかその考え方を説明したのでした。

 

そのときに出会ったのがノーネームの福井さんや今のディーンズステーブルスのオーナーの高堂さんで、後に高堂さんが企画したトレーナーとインストラクターの6ヶ月間に亘る養成講座で、その講師を私が務めることになったのもこのときの縁があってのことでした。

またランチサンウエストの栗田君は、このときの受講生で、この講座が今の北海道にもたらしたものは計り知れないし、今年5回目を迎えるHWCは、この講座から始まったと言っても良いくらいでしょう。

 

Amaha Classicは、11年目を記念して去年Amaha CupからAmaha Classicと名称を変更して今年12回目を迎えます。

この大会は、当時JWRAが協会として機能しなくなった状態に陥り、競技会が激減したときに、AmahaのトレーナーであったBryant Pace氏が提唱して始まったもので、Congressに次いで賞金制度を組み込まれた大会としてスタートしたのです。

 

今アメリカでトップトレーナーとして活躍しているBryant Pace氏は、2年間Amahaのトレーナーとして勤務し、馬のトレーニング技術やインストラクティングの方法や、競技会のプログラミングなど様々な宝物を日本にもたらしました。

 

今では誰もが当たり前のようにやっているカウンターキャンターやリードのチェンジと方向の転換とを分けて考えることなど、彼から多くのことを学んだことを忘れることができません。

2005年で10回大会となって、10年続いた歴史を踏まえてAmaha Classicと命名したそうであります。

公式大会を1クラブが主催するということは、並大抵のことではないということを皆さんはお分かりでしょうか。

普段クラブ施設として十分であっても競技大会となると、例えば馬洗場の数、水道の容量などあげたらキリがないほどの設備投資が必要なのです。

エントリーフィだけで大会が運営できる訳では、決してないのです。主催クラブのウエスタンに対する情熱が、大会の継続を実現しているということを我々は忘れてはなりません。

我々は、誰もがこの事に対して敬意を以て、望むべきではないでしょうか。

 

三木でのAJWCは、今年で8回を数えることとなりますが、始めた当初は日本のウエスタン乗馬業界にどうしてもAll Japanと名を打つようなシンボリックな大会の必要性を感じ、しかもそれに相応しい会場ということで三木ホースランドパークでとなったのです。

 

しかし我々ウエスタンに会場を貸してもらえるものかどうかということがあって、神戸の獣医さんで、且つレイニングをやっている井本先生という人がいて、この人が三木市長と親しいということで、この井本先生から当方の要望を話してもらったのが今日に至った経緯なのです。是非皆さんには、この経緯も知っておいて頂きたいと思います。

 

我々ウエスタンの競技をしたいからといって、何処でも会場を借りられるかというとそんなことはないのです。

ウエスタン乗馬のイメージは、日本においてそんなに良いイメージで捉えられているわけではありません。

荒馬乗りだとか虐待だとか、遊びだとか馬術じゃないとかといったものが絶えずつきまとっているということを、皆さんには是非認識しておいて欲しいのです。

これらを色々な心ある方々のご尽力によって、公共の施設において今日ウエスタンの大会が開けるようになってきたのだということを是非知っておいて頂きたい。

 

そしてこれらの方々に対する敬意を以て、大会に参加して頂きたいのです。

 

ウエスタン乗馬の日常がどのようなものであるか、競技会場でのマナーがどうなのかによって、ウエスタンのイメージが出来上がって、競技会を継続できるのであって、タダ当たり前のように、エントリーフィさえ払えば競技に参加できるというわけではないのであります。

今日でもウエスタンに会場を貸すと馬場が壊れるとか、車を入れてはいけないところに平気で駐車しているとか、喫煙場所を守らないとか、様々な苦情が施設管理者から寄せられます。その度に我々は、会場が借りられるかどうか冷や冷やしなくてはなりません。

 

だからといってウエスタンが卑屈になる必要はありませんが、今日ウエスタンの競技会開催における環境が日本にあることに対して、また日本を代表するような施設で、ウエスタンの競技会が開催できることに対して、誇りと敬意を忘れずにおいて頂きたいのです。

 

ローマは1日にしてならずという言葉がありますが、今日のウエスタン乗馬を取り巻く環境は、誰かが意図して作ろうとしてきたからあるのであり、自然に誰も手を加えることなく出来上がっているものではありません。

心ない人がどこかで自分の名前を証すことなく、現状を口汚く批判している人がいることを私は知っています。

作っていくことは様々な障害との戦いやクリエーティブな考えを絶えず創出していかなければ、環境は整っていかないものなのです。

馬場会場にハローを一つかけることでも練習日は日に4回、競技開催中は概ね7エントリーずつとなっていますが、これだって簡単にできるようになったわけではないのです。

 

ウエスタンの乗馬を健全に普及発展させたいという情熱が、長い地道な努力を促しているということを是非知って頂きたい。

大会を止めたりすることは、直ぐ簡単にできます。しかし作ることは並大抵ではできません。

1年の始まりに、月日の経つのが早いということをつくづく感じると共に、今日に至った経緯をどこかで話しておかないと、いつか忘れられてしまい、忘れられてしまうことによって、我々ウエスタン乗馬社会が勝ち得た大事なものをその大事さもわからずに、捨ててしまいかねない危機を感じて、書き綴ってみました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました