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今朝は、すっきりと晴れて風もありません。
馬場は、奥の水溜まりを除いてほぼベストになりました。
「学習とフラストレーション」
自分に対して何事かの事象が発生したとき、そのものごとに存在する法則やメカニズムや組成や効果などを理解するように学習のベクトルを持つ場合と、フラストレーションのベクトルを持つ場合とがあり、初動として起きる学習とフラストレーションへと向かう精神作用のベクトルは、方向が真逆なのではないのではないだろうか。そして、殆どの場合、フラストレーションのベクトルが生じた場合は、学習の機能は起動しないのである。
つまり、学習とフラストレーションは、正反対に存在していて、ものごとの現象が与える影響が、精神作用のベクトルを学習へ、またはフラストレーションへと向かわす要因があるのではないかと考えられるのである。
コミュニケーションは、メンタルの緊張と緩和によって行われる。
これを、プレッシャーによってメンタルの緊張を生み、何らかの行動を起こし、その結果プレッシャーがリリースされて、メンタルがプレッシャーから解放されることで緩和するのである。
複数の動物間において互いが影響し合うときに、他に対してプレッシャーを与えて、他がこのプレッシャーに影響を受けて緊張して行動を起こし、この行動によって与えられていたプレッシャーはリリースされて、緊張が緩和する。この作用が一連のコミュニケーションなのである。
これを物の動きに例えるならば、ピンポン球を左右両端で互いに向かって打ち合うようなものなのである。
つまり、ピンポン球を、左から右へ、右から左へとラケットで打ち合うようなもので、左右のラケットの力が同じであれば、そして空気抵抗を加味しなければ、永遠にピンポン球は左右のラケットの間を、往復運動するのである。
左右のラケットがピンポン球を打つことがプレッシャーで、片方のラケットがピンポン球を打ち返すことが一つの行動であり、同時にもう一方にプレッシャーを与えることとなり、この繰り返しでピンポン球がラケットの間を往復するのであり、ピンポン球が互いの意志を相手に伝えるために往復しているともいえるのである。
因みに、ピンポン球が左右のラケットの間にあるときは、そのラケットは、緩和状態にあるのである。
第2次世界大戦で、ドイツのゲシュタポが、捕虜の戦意を喪失させるために、終わりがなく達成感のない労働をさせるというのがあった。
それは、ある場所をスコップで、何処までとかどれくらいの深さとかどんな大きさかを明らかにせずに、穴を掘れと命じ、命令者の気分で終わりを告げ、捕虜達は穴を掘り終わったのでホッとしたところで、掘った穴を埋めろと命じられる。そして、穴を埋め終わったところで、再び穴を掘れと命じられるのである。
これを毎日毎日繰り返されると、殆どの人間は、誠意喪失するところで修まらず発狂したり気力を失ったりしてしまうそうである。
人間でも馬でも、ピンポン球を左右のラケットで打ち合うように、緊張と緩和やプレッシャーとリリースのような往復運動による精神作用において、学習という精神作用が生まれるか、またはフラストレーションが生まれるのか、その影響力には、どのような違いがあるのかを考察してみたいのである。
ピンポン球を左右のラケットで打ち合うとき、左のラケットのちからが右より大きければ、ピンポン球が左から右へ動くのが右から左へ動くより速くなり、もしラケットの位置が固定されていなければ、左右のラケットの位置が右側へ移動することになるかも知れません。
また、左右のラケットの力が同じであっても、左のラケットが右側へ徐々に移動していった場合は、左右のラケットの位置が右側へ移動することになるのである。
ゲシュタポの終わりのない労働による意欲喪失のメカかニズムは、緊張と緩和の往復運動に変化がないということなのではないだろうか。
左右のラケットを往復するピンポン球のような往復運動は、左右のラケットのピンポン球を打つ力が双方同じで、ラケットの位置が固定されていれば、ピンポン球の往復運動には変化がなく永遠に同じ運動が繰り返されるような作用が、動物のメンタルに生じれば、その動物は、意欲が喪失したり、不満が充満したり、常軌を一定に維持できなくなったりして、ものごとを理解したり、ものごとに内在する法則を導いたり、ものごとの成り立ちを理論化したりするような学習が機能しないのではないだろうか。
一方、この往復運動に何らかの変化があったり、方向性があったり、始まりや終わりがあったりすると、そのメカニズムや法則や組成を学習しようとするメンタルの働きが現れるのではないだろうか。
例えば、あるプレッシャーがあり、そのプレッシャーは、なにごとかの動きが生じると、強まったり、弱まったり、現れたりなくなったりするような変化があれば、その変化の法則なりメカニズムを理解しようとするのである。
メンタルにおけるラケットに相当するものは、強弱・大小・濃淡・表裏・緩急・長短・遠近・厚薄・明暗・功罪・硬軟などがあり、これらの往復する動きの中で、どちらかへ寄っていくような変化があれば、メンタルが学習という方向へ流れ、どちらかに寄っていくような変化がなければ、メンタルは、フラストレーションや意欲喪失や混乱や錯乱などといった方向へ流れるのではないだろうか。
そこで、乗馬において、ライダーが馬に対してプレッシャーとリリースを繰り返して、ライダーの要求を馬に反応させる場合、ライダーがプレッシャーを馬に与え、馬がこれに従って反応をしたときにリリースすると、馬は一旦これに従うとプレッシャーのリリースがもたらされるものの、その後にプレッシャーの前の状態に戻ってしまい、再びプレッシャーを与えられて、ライダーの要求に従うように求められるのである。そして、馬はその求めに応じるとプレッシャーがリリースされるのだが、馬がプレッシャー以前の状態に戻ると、またプレッシャーが与えられてというように、プレッシャーとリリースの間を往復運動するように、馬のメンタルもフジカルも動くようになるのである。
このとき、馬は、プレッシャーとリリースの間を往復運動するが、シーソーのようにプレッシャーまたはリリースのどちらかへ寄っていくような変化がなければ、馬のメンタルは、学習ではなくて、フラストレーションの方向へ流れることになり、抵抗や反抗や混乱やパニックなどの現象が生まれてしまうこととなるのである。
その一方で、プレッシャーとリリースの往復運動となったとき、プレッシャーを徐々に強めていったり、馬がプレッシャー以前の状態に戻る前にプレッシャーを与えるようにしたりして、この往復運動が徐々にライダーの要求の方向へ変化するようにすれば、馬は学習の方向にメンタルが作用して、馬自身がどのように反応することによって、リリースがもたらされるのかを見つけるようになって、馬がライダーに対して従順に反応するようになるのである。

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