AM 9:15 Temperature 16.4℃ Humidity 48% 晴れ April 25,’26(Saturday)
今朝は、晴れましたが少し風があり、気温も低めです。
馬場は、奥に大きな水溜まりがあります。
「できの違い」
同じレシピで料理を作ってもできが違ったり、同じやり方でものを作っても、まるで違うものになったり、同じ話をしても、伝わることが違ったりするのは、何故なのであろうか。
多くの人は、同じ方法を講じれば、同じ結果が生まれると思っているのではないだろうか。
同じ方法を講じても、同じ結果が生まれるわけではないという人もいるが、その理由は、心が籠もっていないとか愛情が足りないとかいうのである。
TV番組で、手造りの味噌を作るというのがあって、その最終段階で、アナウンサーが、指導者に対して、美味しい味噌をつける秘訣は何でしょうと質問し、その指導者は、愛情が大切ですと応えたのです。
すると、そのアナウンサーは、手造りの味噌に「愛情」「愛情」と唱えるのでしょうかといったのです。
すると指導者は、少し笑みを浮かべながら、「愛情」とは、日が差せば日陰に移し、湿度の高い日は、風通しのいいところに置き、というように、絶えず味噌にとって環境のいいところへと配慮をすることが「愛情」ということなのだと応えたのです。
ものごとを成すには、方法が重要だが、同等に重要なことがあり、それは、匙加減ということなのだということです。
乗馬においては、レインを引いて馬をコントロールする場合でも、急激に引いた場合とゆっくりと引いた場合とでは、馬の反応がまるで違ってしまうものです。
レインをどのように引くべきかは、その時々によって違うのであり、ライダーの要求するところは、何らかの馬の反応なのであり、その結果が生まれてなれば、それもレインを引いた結果なのあり、もっと厳密にいえば、レインを引いたときの感触が、その結果を生み出しているといえるのです。
従って、レインを引く方向や力の強さが合っていても、レインを引くスピードや緩慢の匙加減が違っていれば、自ずと違ってしまうものです。
料理であろうが物作りであろうが、乗馬であろうが、何れも方法と同じぐらい匙加減が重要なのです。
その匙加減がどうなのかは、視覚以外の五感で捉えるしかなく、つまり感触として認識できるもので、視覚では解らないことなのです。
従って、プレッシャーをかけた時の接触感で、結果を想定するしかないのです。
日頃から感触と結果を関連づけるように、感触と結果を検証し、どのような感触がどのような結果を生み出すのかを経験値として身につけることが感覚なのです。それが、技術なのです。
また、方法を講じるときと結果は、タイムラグがあって、方法を駆使してから結果が生じるものですから、方法を駆使しているだけの人は、方法を駆使しているときに、望む結果が生まれるものと思っていたのに、違った結果が生まれてしまうと、方法が違うのではと考えるのです。
しかし、多くの場合は、レインの引き方に問題があって、その引き方が良いのか悪いのかは誰にも解らないのであり、いろいろな引き方をやってみて、正解が生まれるようにするしかないのです。
レインを引いたときに感じとる感触が、その道標なのです。
つまり、方法を講じたときに感じる感触と結果を検証していくと、間違ったり正解だったり経験していくと、どのような感触の後に、どのような結果が生まれるのかが解るようになって、レインを引くときに、ライダーが望む感触を求めるようになり、この感触が生まれれば、望む結果が生まれるのが解るようになるのです。
このように、感触と結果を検証しながら経験を積むことで、感触と結果を結びつける法則や方向性が感覚的に解るようになるのです。
このような感覚が身に付くと、一々方法を記憶しておく必要性が薄れていき、余裕でものごとを成すことができるのです。
料理でも、レシピを知ることで、大きな間違いはしなくなるが、大成功もなくなるのです。
方法を度外視して、感覚を大切にしながら、感触と結果を検証し続けるように経験を積み重ねることで、感覚が研ぎ澄まされることとなり、感触が成功への道標となるのです。
そして、最も重要なことは、感触と結果を検証し続けることによって、インスピレーションが生まれるのです。
インスピレーションにより生まれたアイディアには、失敗がないのです。
感覚が鍛錬されて、成熟していくと、インスピレーション(閃き)が生まれやすくなるのです。つまり、知識はインスピレーションを邪魔しているのです。
ものごとは、先ず行動を起こして、そのときの感触を認識してから思考するようにしなくては、知能が高度化しないし、インスピレーションも湧いてこないのです。
これを逆説的に表現すれば、感じてから考えるという順序を守って、日頃生活すると、知能は高度化し、インスピレーションが頻繁に起きるように、誰でもが成れるのです。
現行の学校教育のように、知識学習をしていては、低脳な人間しか生まれなくなり、知能が低く思考能力の乏しい人間を製造しているに過ぎないのです。
古来からある日本の徒弟制度、つまり「見て盗め」の精神は、極めて知能の高い人間を創出してきたのです。
江戸時代の日本人は、感性豊かで知能が高く、とてもクリエイティヴで賢い民族集団だったということです。
江戸時代の主な教育といえば、論語を習うのが主体だったので、知識というよりも哲学を学習してきたのです。つまり、ものの考え方や理想の追求というのが教育の眼目だったのです。
考え出された方法は、千に一つか百に一つぐらいの成功率だが、インスピレーションによるアイディアは、100%の成功率なのです。
そして、そのインスピレーションは、感じて考えるという順序で生活することによって、頻繁に下りてくるようになるのです。


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